映画:「ノスフェラトゥ」/ ヨーロッパ的に不気味で綺麗

amazon ASIN-B00005NO7Gずっと観たかったヴェルナー・ヘルツォーク監督、クラウス・キンスキー出演の「ノスフェラトゥ」(1978/独=仏)をやっとの事でレンタル屋さんでみつけた。
私の大好きなヘルツオークとキンスキーのコンビだが、1972年の「アギーレ・神の怒り」の次、1982年の「フィツカラルド」の前の作品ということになる。
「ノスフェラトゥ」とは吸血鬼の総称を指すルーマニア語源の言葉で、この映画は1922年に製作されたドイツ映画の「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイクということらしい。
ストーリはルーマニアのトランシルヴァニアのドラキュラ伯爵から家を買いたいという注文があったため、契約書を携えた不動産業の男は付近の人も恐れて近づかないドラキュラ伯爵の住む古城に向かう。
不気味な風貌のドラキュラ伯爵は、男のロケットに入っている妻の写真を見て一目惚れし、男を城に閉じ込めたまま男の妻の元へと向かう。という感じである。


いわゆる「吸血鬼ドラキュラ」の話やけど、われわれが一般的に想像するドラキュラである蝙蝠に変身する犬歯が尖ったフェロモンむんむんのオールバックの色男って感じとは程遠い。
この「吸血鬼ノスフェラトゥ」はパッケージのように長く尖った前歯と爪を持ち髪の毛一本もないかなり醜い容貌で、蝙蝠と言うよりはネズミを象徴しており、ネズミと関連付けられるペストを運ぶとされる厄病と邪悪の権化のような扱いである。
醜く不気味なドラキュラ伯爵の吸血鬼ノスフェラトゥをクラウス・キンスキーが演じているのがこの映画の一番の見所であろう。手を怪我した男の血を見ただけで我を忘れて傷口にむしゃぶりついて血を舐める様などはなんともたまらん。
キンスキーだけでなく、妙に甲高い声で引き笑いをする彼の下僕や、目つきの怪しいヒロインなども中々良い感じに不気味さを醸し出しているし、「アギーレ・神の怒り」と同じポポル・ヴーが音楽を担当していたけど、この映画でも同じような音楽ながら、とても映画の雰囲気に合っていて良かった。
ネット上の批評でヘルツォークはアメリカ的なところが一切無い、純ヨーロッパな映画監督だということが書いている人がいて、なるほどこの作品の前のカスパー・ハウザーなど扱う題材からしてそうだし、この映画を観てそこのところがとても納得できた。
この映画は映像もいかにもヘルツォークという感じでとても綺麗だったし、その綺麗さはなんとなく不健康な時間が淀んだ歴史の重みを感じるようなヨーロッパ的なところがある。
特に後半のペストで町のほとんどが死に絶えた中、ネズミに溢れた町の広場で饗宴を開いて着飾って踊り狂う、自分の死を確信した人々の映像がなんとも退廃的で耽美的で綺麗であった。確かにこういうのは妙に前向きなアメリカ的感覚からは程遠いだろう。
ヨーロッパにとってペストというのは厄病で災難と不幸と邪悪以外のなにものでもなく、その象徴であるような生まれながらの邪悪の系統である吸血鬼ノスフェラトゥの不気味さがとてもよく出ていたように思う。
筏、大河、小動物の群れ、などのヘルツォーク的な語彙満載のなんとも不気味でかつ綺麗な映画であった。

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