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2008年9月12日

エリザベス キューブラー・ロス 『続 死ぬ瞬間』

先日読んだ『死ぬ瞬間 -死にゆく人々との対話-』の続々編である『続 死ぬ瞬間』を読んだ。
本当はこの本を『死ぬ瞬間』の続編だと思って読んだのだが、次に出版されたのは『死ぬ瞬間の対話』だったようで、この『続 死ぬ瞬間』はシリーズ(といっていいのか…?)三作目になるようだ。
それでも、全部読み終わって、この感想を書くために色々調べているうちにそのことに気づいたくらいなので、この三作目は一作目の話は前提にしていたけど、二作目を読まなければ三作目の話が全くわからないというような作りではなかったようだ。
例のごとくこの本も、旧訳と新訳があるようで、私が読んだのは1999年に発行された新訳の単行本の初版本であった。
シリーズ一作目である『死ぬ瞬間 -死にゆく人々との対話-』が、末期患者が「死の受容への五段階」と言われるプロセスを通って死を受け入れることを、患者との対話や考察から説明してゆき、人はどのように死を迎えるべきで、死に対していかに対処するか、という方向性を持った本であったのに対して、シリーズ三作目であるこの本は一作目の主張を前提にして、自分自身の死が成長の最終段階である事、正確に言うと、自分の死を身近なものとして捉えて、そのことについてに深く考えてゆくことが大きな人間的な成長に繋がるという主張を主要なテーマとしている。


この本は一応エリザベス・キューブラー・ロス著という事になっているけど、どちらかというとエリザベス・キューブラー・ロス編、といった方が良い構成で、人間が死についてどのように捉えているのか、またどのように対処しているのかを、色々な宗教や民族、また色々な職業や立場やバックボーンを持つ個人の視点から、論じたり述べたりする文章が集められている。
例えば、ユダヤ教やヴェーダ思想やウパニシャッド哲学や、アラスカ・インディアンが死をどうとらえて、どう扱っているかを分析して考察した論文、また、死に瀕した患者自身や、子供を無くした親や、極限的な体験をした人々の手記や手紙(エリザベス・キューブラー・ロス自身の体験談もあった)などいった具合である。
この本に登場したり論じられたりする、それら色々な立場や生き方をして来た人々、また、色々な宗教や立場などは千差万別であるけど、誰もに共通している「死ぬ」を通して人間存在を見てゆけば、共通する部分はとても多いし、個人であろうが文化であろうが大した違いは無いということであろうか。
実際的な「死」だけではなく「死」を何らかの世界の移行と仮定することで、我々の環境や状況が変わることも「世界の移行」としての象徴的な「死」として成長の機会と捉える考え方が展開され、死ぬ本人と死ぬ本人の家族だけではなく、身近に死が迫っていない人も、死を思うことで自ら成長のきっかけとなると言った主張が、この本の骨子なのかもしれない。
子供たちや遺族なるべく死者を見せず、生きているかのように飾り立てて葬る習慣が、人が死に対する考えるきっかけを奪い、やがて直面する肉親や自分の「死」を前にすると大きなショックを受けて対処できなくなる傾向を作っている。という一作目の前提となっていたテーマは、より大きく主張されていたように思う。
特に、この本の中の、日常的に死に触れながらも、死を非日常として、遺族から遠ざけるのが正しい事だとして取り扱っていた葬儀屋さんの男性が、自分の父親の死を切っ掛けに、自分の仕事であった葬儀について考えさせられ、変わって行く話が特に印象深かった。
私自身も「死」と「死者」と「死ぬ事」については色々と経験したり、感じたり、考えたり思ったりした事があるのだが、また機会があれば書いてみたいなぁと思う。

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