『AKIRA』大友 克洋 / 終末思想的終末ヴィジョン

amazon ASIN-4061037110 いい加減MTBのチェーンに噴いているオイルが砂埃を吸いに吸って大変な事になっていたので、自転車を洗った。
車と違って自転車は洗わないとちゃんと走らないのだ。
前日に東寺の近くの古本屋でB5版の『アキラ』全6冊を買い、10キロの道のりを背負って自転車で帰って来た。さすがに重たかった。
今まで映画は何度か観た事があったけど、漫画を読んだのは始めて。
以降の漫画やアニメに決定的な影響を与えた古典中の古典であるだけあってとても面白かった。
今となっては使い古されて当たり前になった表現やとか概念が満載やけど、流石に元祖だけあって今見ても全く色あせておらず、当時はどれだけ斬新だったのだろうかと思う。
当時に革命的だったものも、その以前にあったものからを影響を受けたり発展したりしているわけで、文化の積み重ねってものを感じた。
壊して一から作るのではなく、上に積み重ねて行く文化は、土台がしっかりしてこそなのだ。と思った。


この時期は「世紀末」だった事もあり、ハルマゲドン的なカタストロフィー以後のディストピアな未来を描く漫画が多かったような気がする。
こういった『アキラ』とか『北斗の拳』のような世界、つまりは、時代的には世紀末のカタストロフィー以後から新世紀が始まろうとするあたり、内容的には絶滅を免れた人間達のハードな生き方、を描くのは結局一つの終末思想というか「終末ヴィジョン」だったように思える。
肥大し過ぎた世界が世界大戦や核兵器などの大破壊の後にゼロから再生するっていうモチーフは、多くの少年たちにとって、結構リアルなものやったような気がする。
で、新世紀になった今、世界は全く変わらず、世紀末の不安を引き摺りながら、その延長線上にある。
世紀末が過ぎて振り返って思えば、漫画とかアニメってのは世界のヴィジョンを示すほどの影響力を持っていたんやなぁとしみじみ思う。
「新世紀エヴァンゲリオン」は「新世紀」と銘打ちながらも、世界の構造としては「アキラ」と全くかわらん。
これからのアニメとか漫画はカタストロフィーが無かった新世紀のヴィジョンをどう描くのだろう?
小説好きとしては、何としても漫画やアニメに負けないように、小説にも頑張って欲しい次第である。

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