映画:吉田喜重「煉獄エロイカ」(1970/日) / ニセ天然系ギャルのような /

amazon ASIN-B000B63FXC吉田喜重「煉獄エロイカ」(1970/日)を観た。
前からタイトルが印象に残っており、なんとなく、レンタル50円引き割引券もあることもあり、殆ど予備知識なしに借りた。
ストーリーは一応、反資本主義と反米の革命運動の組織がなんやかんやと内部対立するような話だったような気がするけど、現在と過去と現実と空想が頻繁に切り替わったり入り混じったりするようなシーン構成だったようなこともあり、他の事をしながら観ていたのも相まってストーリは全くわからなかった。
登場人物が登場人物同士喋るのではなく、観客に向かって演劇のような口調で喋っているような印象で、映画というよりは舞台演劇を観ているような気になるうえに、どうしてもこの棒読みと言うか、わざとらしいような口調に最後までなじむことが出来なかった
しかし、映像としてはとても面白かった。
やたらと露出オーバーな真っ白な画面は別としても、冒頭の広いビルのフロアを歩くシーンは「おーっ」という感じであったし、全編にわたって斬新で面白い映像が多かった。
更に、ちょうど時代が2回ほどりしたのか、今見ると森英恵の衣装は中々良い感じである。


しかし、斬新であると言うだけでは価値なんかほとんど無い。
「変わっている」と「個性的」と「魅力的」の全てを混同しているニセ天然系ギャルのようなものである。
何かが斬新であるから価値があるのではなく、斬新である何か自体に価値があるかどうかが問われるのだろう。
しかし、この映画の製作サイドが自ら、この映画は娯楽映画ではなく前衛映画である。というようなことを言っているらしいので、それはそれでもいいのかもしれない。
映像がとても気に入っただけに、そのほかの作りが気に入らないのがとても残念である。
この監督の最高傑作であると言われる、「エロス+虐殺」も観て見るかなと。ただしやたらと長いらしいけど。
この映画に限らず、こういった反体制、反権力の革命運動の組織なるものは、行き詰ったり閉塞感にとらわれてしまうと、その内部に鬱積したエネルギーを対決すべき体制や権力への闘争に使うのではなく、無意味な内部闘争に使ってみたり、一般市民を巻き添えにする方向に使ってしまう事が多いなぁと思った。
まぁ気持ちや気分は判らん事も無いけど、それでは何も成し遂げられんやろうと。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP