言葉が適当なのではなく

「そうしょくけい」なる言葉を初めて聞いたのだが、聞いてすぐに意味がわからなかったので自動的に頭の中で「装飾系」と変換し、なんとなくアールヌーボーなクリムトやらビアズリーみたいなのだろうと推測して、そういうなのを想像しながら話をしていた。
時々「ん?」と思う事があっても特にそれほど違和感無く話が進んだのだが、殆ど話の終わり頃に「装飾系」ではなく「草食系」だという事に気付いた。
「装飾系」と「草食系」は音が一緒でもそれが指すものは全く違う。「草食系」を殆ど対立概念に近いような「装飾系」と入れ替えても殆ど話が通じてしまうとはびっくりである。
実際の「装飾系」と「草食系」の間に大きな違いがあるのだとしても、話の上、言葉のレベル上では「装飾系」も「草食系」も大した違いはない。
それが言葉自体の持つ曖昧さや適当さなのか、私の喋る言葉の曖昧さや適当さなのかは分からないけど、一体言葉でどれだけのものが伝わるのだろう。と思うことが最近多い。
言わなければ伝わらないことは多いけど、言っても伝わらないこともまた多い。その癖に言わなくても伝わることも多い。
この中途半端さというか限界は、言葉の特性というよりは、人間の特性なのだろうなぁと。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP