映画:「オズの魔法使」 / 痛娘ドロシー / 危ういジュディ・ガーランド / 緑

amazon ASIN-B00005HC5D 前からずっと観よう観ようと思っていたものの、中々機会が無かった「オズの魔法使」(1939/米)をやっと観た。
言うまでも無く、他の映画や小説やありとあらゆるメディアから引用される、カラフルでファンタジーでちょっとダークなディズニー的世界観に満ち溢れた名作で、心優しい少女ドロシーが家ごと竜巻に巻き込まれて魔法の世界に行き、家に帰るためにカカシとブリキ男とライオンと共に、ドロシーを襲う西の魔女から避けつつエメラルドの都を目指すと言う物語である。
が、いきなり登場するその「心優しい少女ドロシー」が痛い娘にしか見えなかった。
設定は13歳あたりらしいのやけど、どう見ても二十歳超えてるように見えたし、その二十歳超えた娘が働く大人たちの都合を考えず自分の話を一方的に喋り、聞いてくれないと怒り、しまいには豚小屋に落ちて自分では出られずに助けられる。
でもって突然「Somewhere over the rainbow …」とか歌いだすし、なんというかただのアブなくて可哀想な娘ではないか…


で、ドロシーは竜巻に巻き込まれて魔法の国に行くわけやけど、魔法の国への視界が開けたとたんに、今までモノクロだった映像がカラーになるのは知っていても「おーっ」という感じであったし、魔法の国で東の魔女の死を喜んでフリークス達の群れが舞い踊る様はアメリカ的ディズニー的ブラックさ満開であった。
頭に藁が詰まった案山子は知恵を、胸ががらんどうのブリキ男は心を、いつも怯えているライオンは勇気をもらうために、ドロシーだけは家に帰るために、共にパーティーを組んでエメラルドの都をスキップで目指すのだが、『どろろ』にしろ「オズの魔法使」にしろ、自分の欠けているものを探す旅ってのはおっさんの琴線にダイレクトに触れるのであった。
そしてお約束どおりドロシーは西の魔女にさらわれてしまうのだが、お供の三人組はドロシーを救うために、必死になって自分に欠けていた筈の知恵と心と勇気を発揮して彼女を救い出すところはなかなかぐっと来るものがある。
このドロシーを演じたジュディ・ガーランドはこの映画の撮影の時点で、当時は合法だったアンフェタミンを常用していたらしく、この映画内での異様なハイテンションさもこの覚醒剤のせいであるらしい。
この映画が公開されて大ブレイクした彼女は、アンフェタミンだけでなく睡眠薬も常用するようになり、典型的な薬物中毒と神経症となってしまう上に、セックスがらみのスキャンダルまで大っぴらに流布され、ハリウッドを憎みつつ若い生涯を終えることになる。
あくまでファンタジーなこの映画での役柄に引き換え、彼女はこの映画の後にその正反対であるような扱いを受けるのだと思えば、映画の中での彼女の危うさがなんとも悲しく見えるのであった。
色つきの夢である魔法の世界よりも、「There’s no place like home.」「やっぱりお家がいちばん」と冴えない白黒の現実を望むのはなんともリアルであった。
今時はどうか知らないけど、アメリカ人の子供はこの映画の「西の魔女」を絶対的な恐怖の対象として見るらしい。
確かに異様なテンションで無闇に吼えまくる緑の顔色の魔女には、私のような年の人間に対してもそこはかとない生理的な嫌悪を抱かせる何ものかがある。
大魔王だったころのピッコロにしろ、硫化水素で自殺した人にしろ、緑の皮膚ってのは人間の形をしつつも、根本的に人間とは異なった存在であることの象徴のような気がする。

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