映画:「KEN PARK」 / 主張しすぎはいただけない / 監督は大事

amazon ASIN-B0009J8G4Y最近とてもお気に入りの監督であるハーモニー・コリンが脚本を書いた映画である「KEN PARK」(2002/米=仏=オランダ)を観た。
監督であるラリー・クラークとは「KIDS」に引き続き二作目のコンビであるということらしい。
スケートボードのメッカである中産階級の町で、表面的には平和に見えながらも、中に入ればドロドロとした問題と狂気を抱える家族の狭間で鬱屈して救いの無い毎日を送る高校生たちの物語である。
本国アメリカをはじめ世界中で上映禁止となったほどのいわくつきの映画らしいが、確かにやってる事もその映像も中々にエグいものがある。
ストーリーであるとか登場人物たちの置かれる状況ってのは、確かにハーモニー・コリンっぽい。
しかしながらこの映画は、彼が同じようなストーリーで脚本を書き、監督までした作品である「ガンモ」や「ジュリアン」とは全く違うようにみえた。


この監督はこの映画について「若者のリアルを伝えたい」という感じのことを言っているそうであるけど、この映画にはその意図が前に出すぎていたように思う。
この映画で印象に残った、性的なシーンをなるべく美しく撮ろうとするような絵作りも「若者の感覚」としてこの監督が意図していることなのだろう。
しかし、この監督が若者の立場で若者のリアルを伝えようとする意図を持って撮ったらしいこの映画は、私から見ればなんとなく不愉快な映像と物語でしかなかった。
若者の視点が不愉快なのではなく、若者と非若者に対するある種の決め付けと、逆説的な独善性が見え隠れするところがなんとなく気に食わない。
それに引き換え、ハーモニー・コリンの同じような脚本の同じような映画が、この監督とは逆に感動すら生むほど素晴らしく感じるのは、彼のどの立場にも立たない全てを受け入れたような彼自身の視点のなせる業なのだろう。
この映画を見て改めてハーモニー・コリンの素晴らしさがわかった。
こと映画に関しては、脚本より監督の方が大事なんだという事を改めて思った。

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