イリューシャの石

この日で自転車で転んでから通っていた病院も最後の通院となった。
傷自体はもうずっと前に閉じていたのだが、傷跡の経過を見る為に通っていたのだ。
怪我してから半年、改めて考えれば生きていただけでもうけものである。傷跡が残った事などいかほどのことがあろうか。
「病」だけに限らず「生老病死」の全ての苦に当てはまる一般的なことだろうが、怪我や病気が人間にとって何かしら良い作用を及ぼす事があるとすれば、それは人間を謙虚にする事くらいだろうか。
大抵の人間が怪我や病気をすればなぜか自分の傲慢を悔いて謙虚な気持ちになるのはありきたりの出来事である。
しかし、そんな風に一時的に謙虚な気持ちになったところで、健康になれば大抵そんな事は忘れてしまうのも良くあることである。
カラ兄の終わりの「イリューシャの石」でのシーンではないけど、この傷跡を朝に毎日鏡で見るたびに、日々傲慢に暮らす私が、少なくともこの怪我をした一時点では、謙虚な気持であったことを思い出せたらいいのにな。と思った。

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