スイーツとゾンビ

甘いものを食べた後に観るのはゾンビ映画に限る。
手の込んだケーキを食べ、手をかけて作られた紅茶を飲み、そして死人たちが蘇って人を喰らう様を見てクスクス笑う。
退廃的なフランス貴族のような、carpe diemの方向性を持ったメメント・モリであろうか。
スイーツとゾンビは良く合う。というより、両極端のものはあまりにも離れすぎているがゆえに良く似合うのだ。
最近、映画や本や趣味の世界のレビューや感想やコンピューター系の記事ばかりで、ずっと日記らしい日記を書いていなかった。
というよりもブログ自体を殆ど書いていなかった。
リアルな世界で色々あったり無かったり、悩んだり悩まなかったり、発狂したりしなかったり。
私にとって、ひたすら自分と向き合うというのはとてつもなく危険な行為でもある。
なぜなら、自分との折り合い、社会との折り合い、そして私を取り巻く色々なものへの折り合い、すべてが同時にベストな状態でありえる自分の位置というものがあると前提したうえで事に望むからである。
その位置がはっきりしない状態で、その位置の存在すら疑われる状態でどこにたどり着けよう。
結局一周して元の位置に戻ってきたような気がする。


しかし、一周したからといって元通りと言うわけではない、宇宙空間に浮かぶ人工衛星ではないのだから、大気の摩擦もあれば、エネルギーの消費もある。
エネルギーを消費し、色々なものを消耗して一周したと言うことはどこかにたどり着いたのを意味するのではない。色々なものを磨り減らした挙句に、ただもとの位置に戻っただけの話である。
それを消耗と捉えるか生還と捉えるかは見方次第である。
結局のところ出た結論はこういうことだ。
「今を否定する材料はいくらでもある、しかし、今を肯定しようと思えば材料はいくらでも見つかる。」
チープすぎる言い草ではあるけど、チープなことをちゃんと意識することは大事なことなのだ。 

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