銛の的としての魚、三味線の皮としてのネコ、そして私

「いらん子」として家に貰われて来たそこらじゅう故障だらけでだったサーブ君だが、数々の改造手術を施したお陰で「やれば出来る子」程度には生まれ変わった。とうことで休みになるとこのサーブ君に乗る機会が多い。出来の悪い子ほど可愛いというものだ。
先日、自動車用の工具を探しているうちに、はるか昔に買ったものの塗るのすら面倒臭くて放置していた「ガラコ」が発掘されたので、物は試しと戯れに窓に塗ってみた。
それから今日がはじめての雨だったのだが、80kmあたりを超えると宇宙空間を星が流れるかのごとくにフロントガラスに水滴が流れて、まるでワープ航行しているようだ!スクリーンセイバーのようだ!ペガサス流星拳!!
雨の道端に車にはねられたネコが横たわっていた。いつもなら「南無南無、キリエ・エレイソン」と通り過ぎるのだが、今日は某レディーが猫皮の三味線を欲しがっている事を思い出した。
道を通る人々に憐れみを受けながら雨に打たれて悲しげに横たわる茶トラのネコも、車に轢かれて一生を終えるのでなく、三味線として生まれ変われば嬉しいのではないだろうか?ネコ冥利に尽きるのではないだろうか?
このネコを回収して持って帰り、三味線レディーの家の玄関前に横たえて、「ネコ皮お持ちしました。この子の三味線としての第二の人生が幸せでありますように!」と書いてポストに投函しておこうかと思ったけど、コレじゃ単なる嫌がらせになるやんということで思いとどまった。
しかし、魚好きの私が水族館に行くと魚を見る目や価値基準が「これは夏が旬の美味しい魚」とか「これはキロ単価いくらくらい」とか「これは寄せに反応する魚」、「ここに銛突き刺すとベストのキルショット」などとちょっと周りの人と違うのだが、その猫皮の三味線を欲しがっている三味線レディーも、道を歩く猫を見た時には「あら、良い音のしそうなネコだこと」、ネコを撫でながら「ま~張りのある皮だこと。」等と頭の中で涎を垂らしながら思っているのだろうなと想像すると「ネコちゃん逃げて~!!」というよりも、世界と人間の多様性に眩暈すら覚えそうになる。
銛で突かれる対象でもなく、三味線の皮になる対象でもない私は、いったい何になるべきなのだろうと思う土曜の夜の丑三つ時であった。

2件のコメント

  • まーたまたー別にそんな目で見たった良いじゃないですかー
    まぁ因果といっても我々が生きてる方が因果ですしねー(^^)
    象牙はワシントン条約の対商品で輸入できず、今流通してるものだけしかないらしいですねーとは言っても、昔タイに行った時、国外に持ち出せませんよ。と言いながら売っていましたけど…
    三味線猫の入手ルート…確かに気になってWEBでいろいろ調べてみたらなかなか面白い話が満載でした…

  • そんな目で猫を見てませんよ!(笑)
    それにしても、三味線猫の入手ルートってどうなってるんでしょうね…
    秘密組織みたい…!
    ちなみにバチと糸巻きは象牙が本式です。
    象牙って今流通してるんですか??
    糸はお蚕様の絹糸だし…因業な楽器です;

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