笠原嘉『ユキの日記 病める少女の20年』 / 戦う少女の20年 / 逃げないカトリックはよく訓練されたカトリックだ

amazon ASIN-4622051370なんやかんや言いながらもとても気に入った笠原嘉であるが、彼のの編集した『ユキの日記 病める少女の20年』 を読んだ。
この本は20歳で統合失調症を発症して28歳で心不全で死亡した「ユキ」なる女性の残した8歳から20歳までのノート60冊にも及ぶ膨大な量の日記を、彼女の統合失調症の最後の主治医であった笠原嘉が両親から見せられてとても感動し、編集しなおして出版したものである。
笠原嘉はこの本を、統合失調症を発症した女性のはるか過去まで遡った詳細な記録として「病跡学」の稀有な資料としての存在意義を世に示しているが、彼個人としては高い文学的価値を認めたことがその出版に対する直接的な動機だとこの本で語っている。
初版が出版されたのが1978年であるけど、2002年に新装版が出ていることからもこの本の人気と価値がわかるような気がする。
家族に出版の承諾をもらってから、選出と編集を経て出版に至るまであえて十年以上を費やしたように、この本は非常に時間とエネルギーをかけて出版された。確かにそこまでしてこれを世に出したいという気持ちを抱くに値する本であったと思う。


最初はこの本を統合失調症の少女の日記なのかと思って読み始めたけど、発症した二十歳のころにその特徴が見えるだけで、これは最初から最後まで純粋な日記系文学としか読めなかった。深い内省と明晰な知性、そして自分自身に対する容赦の無さはブレーズ・パスカルの『パンセ』を飽津とさせるものがある。
『アンネの日記』 から高野悦子の『二十歳の原点』 、そして山田花子の『自殺直前日記』 まで、死んでから残した日記が出版される事は多々あるが、この『ユキの日記 病める少女の20年』 はその中でもとても素晴らしい日記系文学の一つに入るだろうと思う。
敬虔なカトリックの上流階級の家庭に戦中戦後の時代に生まれ育ったたユキはエンジニアである父と教養高い母と二人の姉と弟に囲まれ、子供のころから喘息を患って病弱で、学校にも行かず友達もおらず、生涯のほぼすべてを孤独な病床の中で過ごした。
彼女はカトリックの信仰を持ち、ひたすら本を読み、音楽を聴き、様々なものを吸収しつつ考えて、逃げることなく真正面から自らを見つめて深く苦しんで悩みぬき、神に祈りつつ自分に対する孤独な戦いを延々と行ってきた。
教養高い母のおかげで、彼女はフランス語と英語をある程度使いこなせ、少女らしからぬ方向性を持った膨大な読書量と、一時期は作曲家を目指した音楽の専門知識をもとにして色々なことを考え抜く。
しかし、逆に彼女のこの知的資産が深い内省と自己洞察の道具となっていると同時に、自らを容赦なく攻める道具になっているのがとても痛ましい。
「人生は泣くべきものであり、悲しむべきものなのだ。」「私は自分の不完全に耐えられないのじゃないかということだ」「人生は実に逃避すべきものに過ぎないのではないか?」「マギの後姿をみながら思う。女の人は愛を胸に抱いて大人となる。私は虚無を抱いていつまでも子供だろう。」「悲しみによって私はかたくなである。孤独によって私は傲慢である。」
これが花咲く17、18の乙女の言葉だろうか?
私は読みながらずっとリジューのテレーズと彼女を重ね合わせて思い浮かべていたのだが、彼女は「小さき聖テレジアは勇気の無い時に勇気のあるごとくに行動した。これこそ真実の勇気だ。」と言及していたくらいでほとんど自己同一はしていなかった。
彼女はテレーズのように苦しみを神にささげるというよりも、ひたすら戦っていたように見えるし、その彼女が自分の内面を断罪して自分と戦う様は壮絶であるとしか言いようが無い。
彼女がこの孤独と葛藤と苦しみにここまで耐えられたのは彼女が信仰を持っていたからだと言えると思う。
結局彼女には助けが来なかったけど、信仰の力によって自らの地獄をここまで耐えて踏みとどまることができるのはちょっとした驚きであった。
しかし、逆に言えば、彼女をここまで追い詰めてしまったのはその信仰心からであったともいえるかもしれない。
一般的にこういった日記系文学で恋愛の悩みが出てくるととたんに面白くなくなってチープになるように私には思えるのだが、この本はそれをあまり感じなかった。
この思春期の年代の少女の恋愛での挫折経験が統合失調症発症の最初のトリガーとなるのはよくあることらしいけど、高野悦子にしろ、このユキにしろその後の周りの人々のアフターサポートが頂けなかった。
その恋愛での挫折を境にして、彼女は徐々に狂気に沈みこんでゆくわけであるが、最後の最後まで忍び寄る狂気の影を感じながらそれと戦う力を鼓舞するためにこの日記に書く言葉はなんともいえない凄みがある。その日記を必死で書いている彼女の気持ちはいかなるものだったのだろう。と思わざるを得ない。
そして彼女の後半の日記で彼女の母を「マモン」と書いている箇所がありとてもゾッとした。
マモンといえば「強欲」を司る悪魔であるけど、これは妄想?わざと?間違い?脚注にもネットにもそれに関する言及がまったく無いので非常に気になった。
一般的にアルコール依存症の家族で構成された機能不全家庭環境で育った人をアダルトチルドレンというように、絶対的な宗教的バックグラウンドをもとにした家族による機能不全家庭環境というジャンルがあるのを最近知ったのだが、なんとなくそのあたりにも関係があるようにも思えた。
家族や周りの人は善意と愛を抱きながらも結果として彼女を守りいたわるつもりで逆にユキを追い詰めることになってしまったように私には思えた。
もちろん今のようなちゃんとした治療環境があれば彼女はちゃんと治ったのだろうけど、そもそも今でこそ常識として授けられる精神医学的な知識が当時の家族にあればユキは発症すらしなかったかもしれない。
彼女のような深く高潔な知性と精神を持つ魂が狂気の淵に沈みこんで浮かび上がることなくこの世を去ったのはとても残念である。
たとえばうつ病という病気の苦しみのほとんどは、うつ病を理解しない人たちからもたらされるという事実があるように、こういった少女が孤独と狂気の淵に沈みこむことなく、幸せにその才能を開花させることができるなら、直接的な医学の進歩はもちろんのこと、精神医学に関する知識の社会に対する啓蒙は人道的に素晴らしいだけでなく、社会にとっても有用であると思ったのであった。



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