見える事と、そうである事。

本土が爆撃されているのに南洋の小島を占領してなんの意味があろうか。
コスト30の騎兵一騎でコスト1の歩兵20体を倒したところで負け戦であるのは明白。
目先の戦果を求めるあまり後方の戦力まで前線に投入するのは愚の骨頂である。
報告義務とプロパガンダのおかげで負け戦が出来ないのでは戦争する意味がない。
ようは小戦で負けても大戦で勝てればそれで良いのであり、エラい人とバカにはそれがわからんのやね。
降りかかる火の粉は払わねばならぬが、いずれにせよ戦など起こさず巻き込まれないのが一番なのである。
「百戦百勝は善の善なる者にあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」である。


先が見えぬかのような山に頂上が、終わりがないかのような洞窟に出口が、明ける事の無いような夜に朝の光が見えてくるのは安堵するものである。例えその出口や朝や頂上がどのような形であってもだ。
終わるものは何をしたところで終わってしまうし、終わらないものは何をしたって絶対に終わらない。
たぶん、何かが終わる事や終わらない事はそれほど大事なのではなく、何かが始まる事の方に注目すべきなのだろう。
しかし今となってはなぜ始まってしまったのかすらわからない事が多すぎる。
既成事実、結果、現状、人間の人生なんてのは大抵そんなモノで出来てる。
世の中で「実はこうである」よりも「ぱっと見こう見える」の方がインパクトに長けて重要とされる事が多いのは木を見て森を見ない輩が多いからであろう。
負けたよう見えるけど勝っている人間、勝ったように見せているけど実は負けている人間のどちらが良いだろうか。
幸せそうに見えるけど不幸せな人間、不幸せに見えるけど幸せな人間。大抵のまともな人間なら後者を選ぶだろう。
しかし幸せに見える事が幸せであり、勝ったように見えるのが勝つ事であると錯覚する事がなんと多い事か。
結果ばかり、現状ばかり、終わった事、終わらない事ばかり見ていてはそういう落とし穴に落ちてしまうのではないか?もう梅雨なのか?などと思う今日このごろ。

2件のコメント

  • やっと明るくなったと思ったらまた別のトコの入り口だったり、人生山あり谷あり穴ありで中々難しいですな。(意味不明)

  • 何にせよ、先の見えない闇よりは先の見える闇の方が気持ち的に楽かと思われたりします。
    光で目が眩んでしまってもなかなか恐ろしいものがありますけどねw

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