色は匂へど散りぬるを

毎年恒例の宵(*n)山に行った。
圧倒されるしかない人の量を見ていると、事実上、世界が万物の霊長たる人間の支配するところとなり、世界が人で満ちている事が実感される。
物心ついた頃から祇園祭に繰り出していれば、この梅雨時特有の暑さを感じ、祇園囃子の音を聞き、鉾や山を見れば無駄に何かがかき立てられるように条件付けされている。
人生のあらゆる段階であらゆる人とそこに行ったわけであり、祇園祭に行くってのは「今」に対する「現状」の繰り込み作業のような所がある。
俺は人混みに必要以上にうんざりするタイプの人間であるけど、この祇園祭の人混みだけはなぜか大丈夫。
とてつもなく大げさに言うと、祇園祭の人混みと自分にある種の「共時性」を感じたりするわけだ。
まぁ、今時シンクロニシティとか共時性とか言う奴も珍しいが。


めまぐるしく変わり続ける物があれば、全く変わらない物がある。
前者を良しとして変化を繰り返す価値があれば、頑なに一つの所に留まることを良しとする価値もある。
進みも引きも、改善も改悪も、どこへもたどり着いてもいない自分を見せつけられ心底うんざりする。
「生きる理由」ではなく「死なない理由」しか持っていないとは言え、決定的な「死ぬ理由」があるわけでもない。
一切諸行皆悉是苦などと言い放ってみても、俺の方こそ「エウ・ゼーン」はどこへ行ったのだ?と思う。
いずれにせよ、祇園祭の終わりと共に梅雨が終わって夏が始まる。
夏が始まれば風向きも変わるだろう。

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