匿名性という幻想

オスカー・ワイルドの有名すぎる言葉に

Man is least himself when he talks in his own person. Give him a mask, and he will tell you the truth.

ってのがある。

日本語に訳せば、「彼が自分自身として語る時、人は最も彼自身ではない。彼に仮面を与えよ、そうすれば彼は貴方に真実を語るだろう。」ってところだ。

ブログやツイッターでは幾らでも書くことが出来るのに、facebookを始めてからいざ何かを書こうと思っても全く何も書けない自分を思うにつけ上の言葉を思い出した。

人間であればいくつものキャラとかペルソナを持っているわけで、上の言葉を違う意味で言いかえれば、自分自身の中に仮面に応じた真実を持っている。ということになる。

ペルソナをそんなにも複数持っていない、正直というか真っ直ぐな人なら良いけど、Facebook上では複数の種類のペルソナでの付き合いがある人が全て同じプラットフォーム上にならぶのでどのペルソナを出すべきか迷ってしまうのかもしれない。

当然、人にはどれが一番自分自身で親密だったり大事に思うペルソナがあるものだ。

とか何とか言っても、私の複数のペルソナなんか、私の親しい人は全部分かってるんやろうなぁ。それにブログやツイッターで匿名になっているつもりでも全然匿名じゃなかったりする。みんな分かっててあえて突っ込まないでいてくれてるんやろうなぁ。ありがたやありがたや。

 

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