レベッカ・ブラウン 『若かった日々』

レベッカ・ブラウン『若かった日々』を読んだ。
父と母を失い、自分がレズビアンであると認識した現在から見た場合の「若かった日々」、つまりは母と父に関する事、自分がレズビアンなのに気付く事に関する自伝的な連作短編集。
三島由紀夫と志賀直哉に代表されるように、まぁ、よくあるテーマではある。
原題である「The end of Youth」の地点に収束する「若かった日々」を語る事で母の人生と死を受け入れ、自分たちから去った父の死で彼の存在を受け入れ、自分が同性愛者であることを受け入れる事が、自分自身に対する肯定につながってゆく様が、彼女の細やかな視点と描写、クールでシンプルな文体で語られて何とも心地よい。
この本で日本語訳が出ているレベッカ・ブラウンの本を全部読んだ事になるけどそのどれもがすばらしかった。
それらは体験を下書きにした物語ではあるけど、デビュー作やデビュー直後に已むに已まれず書いたような類の物ではなく、デビューから10年以上たってからの創作活動の波に乗り始めた時期に書かれた物であり、それがゆえに激しく強烈な自分の感情を抑制の効いた慎ましやかな表現として表す事が可能になっているのだろう。
しかし一方で、デビューから20年たった後に書かれたこの本で、人が物語を書く事で癒されたいと願うような事が何一つとして解決していないと言う事を我々は目にする。
最後の数編の短編から見える、未だ癒える事無く心を苛み蝕み続ける強烈な「物」はもう読んでるだけでしんどい。


amazon ASIN-4838714661レベッカ・ブラウンが「The end of Youth」に繋がる「若かった日々」を語る訳やけど、全てが正確にあった通りに書き、またそういう風に書こうという意図を持っている訳では決して無いようだ。
あとがきで訳者の柴田元幸が言っているように、それは過去の記憶を現在に幻視しているだけかもしれないし、この本の中で海軍のパイロットだった死んだ父の灰が空母から撒かれた事実が、海軍の制服をつけて甲板から海に向かって飛び込むという風に理解されたように、明らかに現実とは異なった事実が書かれている事が多い。
あえてこういった事実の捏造を行うといった事は、現実に起こった事を自分なりに理解すると言う一つのプロセスであるのだろうし、恐らく、こういった自分に関する神話体系の構築の欲求が、物語や小説を書く原動力の一つとなっているのだろう。というところが見て取れた。

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