ウィリアム・ギブスン 『ニューロマンサー』

ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』を読了。
1984年に発表されたサイバーパンクなるジャンルや流れを作り出したSFの古典であり、SFの文学賞を多数獲得しているように人気や影響力は高く、SF小説に限らず後の様々な作品の原型となっている。
そっち系に特に思い入れがあるわけでもなく、全く詳しくない私でも、マトリックスという名のサイバースペースと聖域としてのザイオン、脳に直結された埋め込み式のプラグ、光学迷彩、人形使い、義体、などなど、あからさまに「マトリックス」やら「攻殻機動隊」がこの世界観をベースにして単語や小道具まで使っているのがわかった。
世界に張り巡らされたインターネット網を日常的に使い、アニメやら映画やらでそういう世界観や小道具の知識を持った上で読んだので「なるほどなるほど」やったけど、発売された1984年当初にこの作品がどれだけセンセーショナルで、読んだ人が際限なく出てくる新しい感覚に圧倒されたであろう事は容易に想像できる。
そういった後の作品に多大な影響を与えた功績が高い重要な作品やろうし、当然20年以上前の作品にも拘らず今読んでも古臭くはないし面白かった。


amazon ASIN-415010672X人体が血液から臓器から目や腕や神経などの器官に至るまでパーツ化されて売買され、高度な外科手術によって神経の反応速度やら筋力やら対薬物やらホルモンの反応性を調節し、データモニタの役目をするサングラスを顔に埋め込み、指に伸縮式の爪を内蔵したりといった事が可能となった世界で、「サイバースペース」を自由に飛び回る「サイバーカウボーイ」達が肉体を「牢獄」や「足枷」と呼んで軽視するように、人間の肉体に対する感覚は自分の存在の限界や可能性を限定して自分を縛るものでしかないし、パーツとしての体はいくらでも代替可能なこだわる必要の無いものであるようだ。
この考え方の方向性は、古来からの伝統である物心二元論で分割された人間存在の「心」の方にアイデンティティーがあるとして、「体」をモノ化する方向が行き着く所であろうかとかと思われるけど、「心」の方も、サイバースペース越しに乗っ取られたり、改竄されたり、さらには死んだ人間も意識的な存在の総体をROM化したりされたりする程度の不安定なものでもある。
物心二元論ではアイデンティティーが確立しにくい人間機械論な世界であり、肉体的な改造を受けたり、記憶や思考や価値をコロコロ入れ替えられる登場人物たちに、一般的に我々が言うような自意識はあまり見られないように見える。
登場人物たちの多くは恐怖を感じるけど、この感情は本能的な反応であるに過ぎない。しかし主人公や主要な登場人物が殆ど感じる事のない、自意識を前提とした感情である「憎しみ」がこの物語の中でかなりのエネルギーを生み出す乗り物であるような扱いをされ、黒幕である人工知能たちが求めていたのが、「自意識」だった。
主人公が自分自身に憎しみを抱く事で得たのが自らの自我、人格、知覚を超えた境地であり、人工知能たちの求めた自意識の形はサイバースペース自体との結合だった。
新しい形の自意識というのが自我を捨てる事で世界や大きな存在と一体になるというのは、どこかでよく聞く様な話ではあるけど、それが未来の方向でこういう風に結実されるというのはちょっと珍しいように思った。
というわけで、私は「自意識」のあり方とか可能性を見るような読み方をしたけど、自分でもこれはちょっと違うような気もする…
参考サイト
ウィキペディア:ニューロマンサー
ウィキペディア:ウィリアム・ギブスン

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