「福田平八郎展」@京都国立近代美術館 に行く

とても天気が良くお散歩日和でその他色々日和でもある。京都国立近代美術館へ「福田平八郎展」を見に行ってきた。
お向かいの京都市美術館でやっている「大エルミタージュ美術館展」にチケット買う行列が出来るほどの人が押し寄せていたのに引き換え、「福田平八郎展」は控え目に言ってガラガラ。お陰でゆっくり見られたが、ちょっと複雑な気分である。
福田平八郎は私が好きな日本画家の一人で、彼の京都市立美術工芸学校の卒業制作が同校の買い上げになり、宮内省買い上げの作品を出して画家として認められるなどそれなりの地位の画家としてあったけど、師と画塾に属さない孤高の画家として過ごし、日本画壇の最高峰でありつつも今までの作風をかなぐり捨てた絵を描いたりと常に変わり続ける姿勢は、ジャンルは違えど「帝王マイルス・デイビス」のようでもあった。


絵画というのは、何らかの対象に対して我々常人や凡人が見過ごすような美(或いは醜)をスポットライト的に浮かび上がらせたり捉えたりして表現するものやと個人的には思うのやけど、福田平八郎が何らかの対象の中の着目した点が私にとってもツボである事が多い。
ちなみに私が好きなのは作風の変わった「漣」「雨」あたりからで、彼の作品からは、自然や日常や周りに対する慈愛に満ちた眼差しが伝わって来てなんともほんわかするのである。
で、今まで彼の作品は画集でしか見た事が無く本物を見たのは始めてであり、さらにはこの展覧会は予想してた倍くらいの数の作品があってもう感動もひとしおであった。
かの有名な「漣」の本物はかなりデカく、遠目から見ると本当に水面のように見えるので、当たり前やけど「おー」となった。近寄った時と遠目から見る印象が全く違うってのは画集では味わえんやね。
彼がずっと題材にし続けてきた「鯉」も時代ごとに変わって来ていてその様を見るのも中々面白かった。
なかでも「雀と葱」(葱と雀やったかも)がたまらんかった。苗を植えたばかりの葱畑で遊ぶ雀を遠近感を無視したように平面的に描いたものやけど、なんというか雀の雀らしさと、葱の苗からちょこっと青い芽が出てるところに癒されまくった。
あと、この展覧会では主要な作品に平八郎自身の解説文が付さされており、それを読むと彼のお人柄に触れたようで妙に和んだ。

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