嫌よ嫌よも桃のうち

最近はもうすっかり図書館派の本読みになったけど、ついつい古本でトマス・ピンチョン『重力の虹1』を買ってしまった。自分ではそんなに意識していないけど、途中で読むのを挫折したのをよっぽど根に持っているようだ。
しかしながら現在はまったく方向性も種類も違う本を読んでいるので読むのはもっと先になるだろう。というか、このまま本棚の肥やしになりそうな予感である。これは所有という形での報復であろうか?
本にしろ人にしろ音楽にしろ、最初から滅茶苦茶気に入る場合はなんら問題ないけど、逆に最初からやたらと否定的に見て毛嫌いしてしまう場合も、自分の中の何者かを何らかの形で強烈に刺激するという意味では気に入ったもの同様に絶対値は高く、ベクトルとしては逆でも、スカラー的には等価になるのである。
経験的に言って、最初はとても嫌いやったりムカついたりしてけど時間がたつととても好きになっているという経験が結構多い。例えば、中学時代からの某友人、Miles Davis、村上春樹など。
自分が極端に嫌ったり嫌がったりすることをよくよく見ると、それが自分の問題と密接に関わっている場合が多い。その自分自身の問題を、獲得であったり征服であったり無力化であったり放擲であったり何らかの形で克服すると、また克服されないまでもそれを認識できた時点で、自分自身が何らかの成長を伴ってその嫌ったり嫌がったりしていたものを強烈に好きになることがあるのである。
キリストも人間に対して、中途半端にぬるいなら口から吐き出してしまうので、むしろ熱いか冷たいであって欲しいと言ってるくらいである。
そういうわけで、マイナスの価値がプラスの価値に転じるほど美しい変化は無いのである。と思った。

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