ブックオフVS三月書房

昨日楽天で買った古本屋さんが思ったより近かったので、直接取りに行って来た。
七冊で1300円と非常に安い。エーリッヒ・フロムからガルシア・マルケスから大江健三郎と脈絡がないのはいつもの事にしろ、ここまで安いとあほらしくて新刊なんか買ってられへんなぁ。まぁ俺が貧乏性なだけかも知れんけど。


古本屋というと、古本屋それぞれに得意分野があって、本一つ一つに難しそうな顔した店主のオヤジが渋く値付けしてるイメージがあって、とんでもない値段のついた仏教書とか美術書とかを見るたびに、なんかわからん世界のわからん原理の存在を感じたし、ある意味値付けも職人芸やった。でもブックオフは明らかに本を新しいか古いか、綺麗か汚いかでしか値付けしてないように見える。それはバイト君でも誰でもマニュアルさえあればできる事やしね。システマティックに値付けされるということは、結果として大量の本が早く店頭に並ぶことになるし、商品の回転も速くなる。ブックオフ商法の成功はそのわかりやすいシンプルさにあるのやろう。
どっちかと言うと古臭い本が好きな俺にとっては欲しい本が安く買えるようになったのはありがたい事やけど、昔のような古本屋がなくなってきた寂しさはあれ、それ以上にそんなブックオフ的なやりかたは爽快感のようなものすら感じる。古くて汚い本は100円で、新しくて綺麗な本は原則として定価のの半額と非常にわかりやすい。
ブックオフは昔の古本屋のような値付けをせずに、「本」を紙としての商品であるとだけとらえ、「本」自体の価値を判断することを放棄することで新しいシステムを作ったわけやけど、考えてみればそもそも「本」の価値なんか人それぞれ。カントの初版本と松本人志のサイン本のどちらが欲しいかは人によるもんね。
ブックオフは紙としての価値で「本」を値付けするけど、それは「本」の中身の価値を表してるわけじゃない。それを判断するのは(つまりはどれを買うかは)購買者ということになる。
多様な価値を許容しうるという意味でそれはいいことやと思うけど、こうなってくると自分の価値というもんが大事になってくるし、自分の価値がない奴はブックオフで本すら選べないということになる。
なんでも均一化するということはなんか門戸を広げるような感じがするけど、実は物事を選びにくくすることでもあるのかもしれない。
ブックオフで本買うのがなんか頭の悪い行動のように言う人がいるけど、んなことはない。三月書房で当りを引くよりもブックオフで凄い一冊を見つけるほうが尊敬できるではないか。って、明日から仕事やな…

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP