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2007年11月6日

電気羊の夢を見る傲慢

夜遅くからローマの剣闘士の物語「スパルタカス」を見始めたものの、結局時間の都合もあり半分の休憩の時点で止めた。
どこまで行ってもモノとして扱われる、彼らの奴隷としての境遇にいたたまれなくなる。いくら強く賢くても奴隷は所詮奴隷でしかない。
いくら自立制御のオートパイロットで良く働いたとしても、所詮機械は機械である。
忘れがちであるけど、よく働く機械は、あまり働かない人間のために存在するとされるのである。
二者の間に「働き度合い」を価値基準として適用させる以前に、人間と機械の間には先天的に越えがたい価値の差が設定されているのを忘れてはならない。
昔も今もなんら変わるところは無い。余りに醜くはあれど、残念ながらそれが世界だ。


例えば、明日は晴れて欲しいと願って実際そうなったからといって、その人が雲を散らせて太陽を昇らせたといえるだろうか?
例えば、電車よりも自転車で通勤したほうが健康に良いと予想して実際そうだったからと言って、その人が健康についての電車に対する自転車の優位性を作り出したと言えるだろうか?
それはただ希望がそのとおりになったり、正しく物を見る目を持っていたというだけの話に過ぎない。願いや希望や予想や予見がその通りになったからといって、その結果がその人のもつ力と関わりがある場合はほとんど無い。
往々にして、運や勘や論理的思考を自分の自由に使いこなせる力であると錯覚することはとても多い。しかしながら大抵の場合それは自分自身で制御できないし、自分とは独立した何者かであるようにすら見える。
そして自分の制御できないエネルギーを自分の力であると錯覚することは殆どの場合悲劇に終わる。
希望が叶い、予見が適った場合は、運がよかった事を喜び、正しく物を見る目を持っていた事を喜ぶ事で十分ではないだろうか。

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