観覧車

やっぱり私は人として根本的に絶対的にずれているのではないか。という思いを強くする。
私は私以外の何者でもありえないし、私以外の何者も私ではありえない。
などと思っているのは自分だけだろう。結局のところ、大抵の人間は社会から見た場合代替可能な存在である。
私にとっての闇は他人から見て全く闇に見えないらしい。
他人から見た私は私自身が最も遠いと思っているものに見えるらしい。
他人から見た私と、私から見た私の分裂の度合いが甚だしい。すなわちそれは私自身の分裂でもあるのだろう。
しかし、分裂としての自己認識も自己認識であることには違いない。
観覧車なる建造物はやたらと青空に映えるし、夜景の一部を成しても趣がある。そしてなによりも、一周回って降りてくるだけという目的の無さが素晴らしいと思った。

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