傲慢ニング俺の道?

ここまで来ておいてパスカルの選んだ道を選ばないのは傲慢としか言い様が無いのは良く分かる。
そもそもの最初から興味も無くその道に近づきもしないのならともかく、ここまで来ていながらそこに行かないと言うのは確信犯的なものがある。
もしそれが超越者による他力からでしか得られないものだとしたら、それを自らの力で求めようとするのは、また自らそれを生み出そうとするのは傲慢以外の何物でもないだろう。
そしてそれは、結局、苦を除く事が出来るものでは無いかもしれない、それはたぶん苦を苦として当たり前だと感じる事が出来るだけのものではないかと言う気がしてきた。
神に反乱を起こして堕ちた全天使の長の属性が「傲慢」でもある。然るに傲慢とは大罪の長とも言うべきか。傲慢こそ智を愛するものが最も陥りやすい罪であり罠であろう。
自力で得られるモノは、自力で得られる程度のものでしかないだろうし、累々と積み重なっている同じ道を歩んだ人の屍もそれを表している。
そしてなによりも、そう思っていてもなお自らを頼みにする戦列から離れようとしない私は、そんな私自身をこそ問題にするべきであると思った。

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