長蛇の列/欲望/クラウス・キンスキー

次の日からガソリンの価格が上がると言う事で、何処のガソリンスタンドも長蛇の列だった。そんな車の群れの横を自転車で駆け抜けて行くのは一寸した体制への反抗気分でもある。
長蛇の列に並ぶと言う時間的な損失を金銭に変換して考えてみるとどれだけになるのだろう?こんな急激な物価上昇に見せかけた増税で暴動が起こらない国は平和だなぁと思う。
『カラ兄』を読み終わったので、しばらくはひたすら映画を観まくっている。ということでヴェルナー・ヘルツォークの映画を借りて来た。
クラウス・キンスキーなる役者が良い感じだ。欲望をストレートに表現してその充足に全力で突き進むのに、全体としてはストイックな雰囲気を感じられるところが何とも魅力的である。
人間の中に混在する欲求を全体として見ればやはり矛盾や対立ばかりの混沌と見える。一つの欲望は別の一つの欲望と対立するし、一つの欲望の追及は一つの欲望の放棄でもある。またある人の一つの欲望が、他の全ての人の欲望と対立する事もある。
しかし、一つの欲望だけを良く見れば、それ自体はとても純粋なものであるだろう。それが否定されるのはそれが他の欲望の利害や理念と対立するが故でしかない。
その欲望自体の純粋さというところをキンスキーはよく見せてくれるように思う。自分の欲望を妙な理念や嘘臭い使命にすりかえたりして表現せず、欲望のままに見せてくれるところが良い。そしてその欲望は我々の眼には「狂気」として映るようになっているところが素晴らしい。
「愛のなかには、つねにいくぶんかの狂気がある。しかし狂気のなかにはつねにまた、いくぶんかの理性がある。 」というニーチェさんの言葉がよく似合う。
まぁ、キンスキーの場合、愛は「征服」と見えるのやけど。
この日か前の日くらいから急に暑くなった。この日もとても暑い熱い日だった。

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