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2011年06月10日




●『人は放射線になぜ弱いか 第三版 -少しの放射線は心配無用-』近藤宗平

amazon ASIN:4062572389  この時期にとってもタイムリーな本、近藤宗平の『人は放射線になぜ弱いか 第三版 -少しの放射線は心配無用- 』 を読んだ。
内容は、放射線はごく少量から量に比例して人体の影響があるとするような「放射線はどれだけ少なくても毒である」とするICRPの「直線しきい値なし仮説」は無根拠であるばかりかデマを広げた害悪であり、
ある一定量までは人体の浄化作用と防衛機能により放射線による影響は無力化されるような放射線量の「しきい値」があるとする「しきい値仮説」が正しい。
というところを具体的なデータを紹介しながら説明しているのというものである。
この本の中で展開されている説は、現在の「一般人は年20ミリシーベルトまでは安全」とする政府の決定の大本の根拠と理論であり、この本の著者の近藤宗平は今の原子力政策の理論的背景を支える人であるようだ。
ネット上ではこの人を「御用学者の大ボス」と断じて聞くに値しない。とみなす人もいた。

しかし、この本のサブタイトル「-少しの放射線は心配無用-」の「しきい値仮説」は現在は一般的に間違いない既成事実として扱われており、
「しきい値」の存在そのものは事実とした上で「しきい値」の値が議論の対象になっているように思える。

今はその「しきい値」がどれだけかを明確に示すことが誰にも出来ないので、政府のいう20ミリシーベルトはヤバいとか、1ミリシーベルトに戻すべきとかいう話が、科学や医学の話なんかではなく、どちらかというとイデオロギー論争みたいになってきた。というところであろうか。

本来「原子力に対する有効性やリスクを含めた科学的な知識」と「原子力をどのような目的でどう扱うべきか」はまったく別の次元の話題であるような気がする。
前者は純粋な科学的な事実で、後者は色々な利便や利害を加味した上での立場の言うなればイデオロギー的なものでもある。
しかし、現在、放射能に関する知識を持ったり得ようとする人はすべては、後者の中の特定のイデオロギーの選択を迫られるような状況にあるように感じる。
具体的に言うと、今原子力や放射線について語ったり考えたりするには、前提として反原発か原発推進かのどちらかの立場の表明や選択を迫られるような気がする。
どちらの立場を取るかによって、その話や考え方が聞くに値するか考えるに値するかが判断される状態であるのだ。

しかし、当然ながら反原発か原発推進かのどちらの立場を取るかによって科学的な事実が変わるわけではない。
ただ、事実から導き出す結論にバイアスが掛かったり、イデオロギーの方向に結論を曲げようとすることが問題なのだ。
結局それはイデオロギーそのものの是非の問題というよりは、個人的な性格や使命感や誠実さの問題であるだろう。

彼がこの本を書くにあたってのもっとも根源的な動機となったのは、チェルノブイリ以降にむやみに放射能を怖がってパニックを起こしてストレスを受けている人たちを見たり、ヒロシマで被爆した人たちに対する社会の言われない差別などに心を痛めて、放射線の怖さを正しく伝え、放射能と被曝を正しく怖がるための知識を世に知らしめよう。というところであるようだ。
原発反対派も原発推進派も放射線とそのリスクについての正しい知識を得ることが必要とみなしている意味では同じだろうし、彼の動機そのものに賛同しない人はいないであろうと思う。

この本の要点は、大きく分けて放射線と生物と人体の関わりに関しての進化生物学や分子生物学や医学を含めた話と、そしてさらにそういったことを合わせた上での社会や人の放射能とのかかわりの話の大きく2つに分かれているように思う。

まず最初の進化生物学や分子生物学的な話は、なぜ放射線が人体に悪いのかの話と、なぜ人間は他の生物に比べて放射線に強いのかという部分の説明である。
放射線が水分子を電離することで生まれたOHイオンが、ヒドロシル基としてDNAやタンパク質と激しく化学反応を起こし細胞や遺伝子を破壊する。
そしてその壊れた遺伝情報がそのまま複製されることで、血液やら組織のがん化であったり機能不全が広がってゆくことが放射線の毒性である。というあたりの話と、
人間には他の生物よりも格段に優れた、人間が他の生物に先んじて色々な地球環境で生き残ってきた原動力となったDNAに対する自己防衛機能があり、
その自己防衛機能は、損傷をしたDNAを持った異常な遺伝子を自己修復するRad51タンパク質による機能と、復元できない程にまで壊れた異常な遺伝子を持った細胞は遺伝情報を複製して分裂しないように自爆スイッチを起動させて破棄する、p53タンパク質によるアポトーシスの二つの機能として働く。
という話が生物の進化から分子生物学から生理学から医学まで色々な方面から説明されていた。
このあたりは生命の神秘に感動し、緻密な生体システムの美にうっとりするほどに面白く楽しく読めたし、
人間が他の生物に勝っているのは知能だけかと思っていたけど、破損DNAの自己修復と細胞のアポトーシスによる放射線に対する防衛機能という器質的なレベルの優位性があったことに結構驚いた。

そして2番目の放射能と人と社会の関わりの話は、
ヒロシマから始まってチェルノブイリ事故以降くらいまでの、核や放射能と社会や人との関わりの歴史、そしてその中から分かってきた事についての話である。
著者が被爆直後のヒロシマへ実地検分とサンプル回収のための調査隊として赴いたときの話から、
被曝による遺伝子損傷が遺伝するとしてチェルノブイリの事故で被曝した人が沢山中絶し、ヒロシマで被爆した人との結婚が破棄されたり、といった「放射能デマ」がどれだけ社会と人に悪影響を与えているかという話、
そして、チェルノブイリの事故は時間がたつにつれて予想された以上に被害が少なく、人間の自己治癒力の素晴らしさが証明され、
むしろ、むやみに怖がるほうが逆にストレスになって体に悪いし、チェルノブイリ程度の被曝なら精神的なストレスのほうがリスクが高いだろうとする、社会や人、或いは心と体との総合的な医学に関わる話というところであろうか。
確かにこの話ももっともだと思われるが、結局これもその「しきい値」が正確かどうかの問題になってくるだろう。
たとえ事実がどうであれ、この本の中にあるようにチェルノブイリの事故で高汚染地区とされた所に住み続けることによる被曝がしきい値以下だとするのは、いくら説明されてもちょっと生理的な違和感を感じずにはられないような気がする。
その高汚染地区で先天性異常を持って生まれてくる子供の確立が他の地区より高めであるいうデータを「ウォッカの飲みすぎ!」と断じていたのには思わず笑ってしまった。そんなんいうたらロシアの人に怒られるで。
まぁ最終的には「大丈夫なものを信用して健康」、「大丈夫なものを疑って心労になる」、「大丈夫じゃないものを信用して病気になる」、「大丈夫じゃないものを疑って病気と心労になる」の論理学的だか倫理学だかのコスト計算みたいな話になりそうである。

とは言え、少量の放射線が体に良かろうが悪かろうが、しきい値が何シーベルトや何ベクレルであろうが、つまるところ放射線そのものはDNAや細胞を破壊するものであることには変わりない。
ある程度の被曝による遺伝子異常は自己防衛機能で無害化されていても、食品添加物やタバコや化学物質などの他のさまざまな要因による細胞や遺伝子の破壊と同じレベルで、放射線は人体にとって有害で悪影響を及ぼす可能性があることは間違いない。
つまり、放射線リスクは分子や細胞レベルで言えば「直線しきい値なし仮説」で説明できるが、個体を一つの単位として見れば「しきい値仮説」がで捉えられるということになる。
放射線がどの程度危険かというのは、放射線のリスクを化学や物理のレベルで捉えるか医学のレベルで捉えるかで大きく異なって見えるということになるのだろう。
そして、この本では放射線が核酸としてのDNAやタンパク質としての細胞に分子的で化学的なレベルで及ぼす危険性を前提にして、それが医学的なレベルで捉えて有害になる量となる「しきい値」を問題にしているということになる。

しかし結局、その「しきい値」となる放射線量も、人によって、時期によって、部位によっていくらでも変わってくるように思う。
rad51にしろp53にしろ、動作としてはたんぱく質による酵素反応であるのだから、生体作用が落ちている時は壊れた遺伝子が修復されずに複製されやすくなるだろうし、アポトーシスも働きにくくなるだろう。
それに連続的に続く放射線によるDNA損傷に対処するために、フル回転で遺伝子の修復とアポトーシスを生体内で行い続けている状態で、放射線とはまた別のリスクが現れた時に、その防衛システム全体が一気に飽和量を超えて崩壊することはないのだろうか?

結局、食品添加物やら農薬やらの影響や「不潔」と「清潔」の捉え方に時と状況や個人によって差が生まれるように、
放射線による被曝リスクは、個人や時と状況によって人体に影響が出る「しきい値」が変わってしまうということがおそらくの真実であるに違いない。
ある一定以下なら最大多数が殆ど大丈夫という値は確かにあるのだろうが、これくらいなら誰でもどんな状況でも確実に大丈夫という値など無いだろう。
その「しきい値」や基準を的確に納得できるような形で示せないこと、そしてそもそも政府が発表した「しきい値」が信用されないことに大きな問題があるのですな。

放射線と人体との影響の話は本来は科学的な話であるはずなのに、もうほとんど「信じるか信じないか」の次元の話になっているように思う。
この本のように色々な実験結果の数値や統計を見せられても、よくわからないので「お、おぅ」と言うしかないし、そもそも追試験も追実験も出来るわけがないので、
結局その結論を出した人を信じるか信じないかの話になってくる。
知り合いや友人ならその人が信じるに値するかそうでないかは一応判断できるが、よく知らない学者や政府や会社の人間に対してはそうはいかない。
その人の言うことを信じるか信じないかの根拠は、その人の立場とその人の持つイデオロギーに賛同できるか出来ないかに大きく左右されるということにならざるを得ないのだ。
他の判断材料はエセ科学を根拠にした何とかイオンやなんとかダイエットとかなんとか健康法を「胡散臭せー」とか「あやしい」と直感的に見抜くような「勘」的なものくらいしかない。
結局それらは放射線と人体に対する影響に関する、決定的で確定的な結論や根拠など何処にもないということをあらわしているに過ぎない。
結果としてそれを今の現状に当てはめて言えることは「我々は誰も知らない未体験ゾーンにいる」ということくらいなのだろう。
考えてみると、「直ちに影響は無い」という言葉はとても言い得て妙な的確な言葉であるのに感心するのであった。

前半の生物学的な話がとても面白くて感心しただけに、後半のそれは如何なものか…と感じてしまう部分がちょっと引き立ってしまったように思う。
しかし、全体を通して貫かれ、本の中から見え隠れする、著者の自身の仕事に熱意とプライドと社会的使命を感じている熱い姿勢にはとても好感が持てた。
そのあたりは本をちゃんと読めるかどうかの大事な要素だと思う。ちゃんと語ろうとしている人の話はちゃんと聞きたくなるものだ。
ということで、この本を読んでタイトルの『人は放射線になぜ弱いか -少しの放射線は心配無用-』に関して、放射線を浴びると何が起こるのかという所と、その放射線対する人体の防衛機能がとてもよく分かった。
まぁ、漫画でいえば「戦いは始まったばかりだ!」って所ですかな。

って、また無駄に長いエントリになってしまった…

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