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2011年11月02日




●ルドンとその周辺-夢見る世紀末展/印象派の影/モノクロとカラー

最近は毎週のように何かの展覧会風なイベントに足を運んでいるが、先週末は京都伊勢丹の美術館「えき」KYOTOで開催されている
「岐阜県美術館所蔵 ルドンとその周辺-夢見る世紀末展」
に行ってきた。

この展覧会は19世紀末に活動したルドンを中心に、彼と同じような傾向を持った同時代の画家たちの作品を集めた展覧会である。

オディロン・ルドンは19世紀末から20世紀初めを生きたフランスの画家で、自らの幻想の世界や心の中の闇や、悪夢や幻覚としか思えないようなひたすら暗くて鬱屈した題材を、木炭や版画などでモノクロの世界として描いていた。
ルドンが画家として活動していた当時のフランス絵画界は明るいタッチで日常生活のひとこまを題材に描く、モネやルノワールやドガに代表されるような印象派が主流であったが、彼の絵はそんな主流の印象派的なものとはあまりに異質である。
promenade.jpgpiano11.jpg20100818_1737022.jpg
cawuhu2o.jpgodilon_redon_upadly_aniol_otwiera_czarne_skrzydla.jpgodilonredon.1303988503.jpg
上の段が有名な印象派の画家たちの書いたもので、下の段がルドンが書いた絵である。
上の段と下の段の絵が全く同じ時代に描かれた絵とはとても思えないくらいである。
(クリックで拡大)

ルドンは当時発展していた科学と科学の与える新しい知にとても大きなインスピレーションを受けてそういった絵を描いていたということらしい。
科学文明がますます発展して行く当時、印象派の画家たちは科学の恩恵によって豊かになる日常生活を賛美していたのに引き換え、ルドンは発展した科学が今まで神の領域であった部分の秘密を次々と暴いて地に引きずり下ろして行くように見ていたのかもしれない。
基礎科学であることを終えて人間に利便を与えるものとして働き始めた応用科学は、今まで手に負えない秘密であったものを人の手に渡した。
しかしそれは一方から言えば、今まで神に任せていた人間の理解を超えた秘密に各々が個人で向かい合い、神に任せていた運命を自ら負うことをも意味する。
まさに、ドイツでニーチェが「神の死」を指摘した時代であった。

「印象派」といえば、写実主義から抽象主義への転換の初期段階であり、今までひたすらリアルに描こうとしていた世界を、いわば主観のフィルタを通してドラマチックに描いたものである。
ルノワールやドガやミレーが市井の人たちをただリアルに描くのではなく、彼らの生きる楽しみや美しさやエネルギーといった画家の受けた「印象」をこそ強調して描いたという部分が「印象派」たるゆえんになるのであろう。
世界をそのままに描くのではなく、世界に対しての何かしらの「印象」を描く「印象派」が当時の時代精神によるものなのだとしたら、
ルドン描くの幻想的な世界も、変わり行く世界の闇の部分を見つめた一つの「印象」であるだろう。
そう考えれば、19世紀末フランスの「印象派」とルドンの暗い絵は同じ世界の光の部分と闇の部分と捉えることが出来るかもしれない。
「印象派」が世界を明るく描けば描くほど、その陰であるルドンの描く闇も深くなるのだ。
そういう意味でも、人間や世界の暗い部分を見てしまう人にとって、世界や人の暗い面や狂気ばかりを描いたルドンの絵はとてもじわじわ来る。

しかし、ルドンが50歳ほどになり子供を得えて人生が一変すると、彼は突然今までのモノクロの暗い絵を描くことを止め、ふんだんに色を使ったカラフルな明るい絵を描き始める。
展覧会会場でも順路に沿って進んでゆくと、ある一角を境に雰囲気が一変していた。
今までは薄暗く訳の分からない狂気に満ちた絵ばかり並んでいたものが、突然明るくカラフルな絵ばかりになる。
展覧会でも彼の人生の印象が一変したことがとても良く分かるようになっている。
薄暗いモノクロだった世界がいきなりカラーになるとやっぱり一寸した感動がある。
「なんだか会場まで明るくなったみたいやー」と思ってよく見たら上からのスポットライトと照明の数が増えていてズコーであった。
img876.jpgnormal_redon.cyclops.jpgredon.yeux-clos.jpg
(クリックで拡大)

しかし、彼の描くカラーの絵はとても幸せと希望に満ちてはいるが、絵としては印象派チックによくありそうな、言ってみれば平凡な絵であるように見える。
一つ目のサイクロプスだとか、目を閉じている人の顔だとか以前と同じ題材を描いても前ほどのジワジワ来るようなものはもう全く感じられない。

モノクロから途中でカラーに変わるといえば映画「オズの魔法使い」である。
ドロシーが退屈なモノクロの日常の現実から逃れ、夢の世界に入ったシーンで世界がカラーになるのだ。
ルドンは逆に夢の世界から日常の現実に入った時点で世界がモノクロからカラーに変わったわけであるけど、
今まで世界や自分の奥深くの光も届かない暗い世界をモノクロで見つめていたルドンにとって、余りにも平凡で余りにも当たり前な人の幸せに自ら喜ぶことが出来るというのは、まさに彼にとって夢の世界に移ったように思えるだろう。
うんうん、なんかそれはとても良く分かるぞー
とても良くわかるけど、オチが思いつかないのであった…

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