震災で世界認識が変わる

「後五分で死ぬとしたら何をするか?」という風な話は定期的に話題に上るものであるが、
震災が起こる一週間ほど前に、後五分で自分が死ぬことを知った男がとった行動を逆回しで撮った作品「Tick Tock」が、学生たちを対象にしたムービーフェスティバル「Emory Campus MovieFest」にて最優秀作品賞を獲得したことがニュースになっていた
こういった映像や話題は見るものに対して「あなたが五分後に死ぬとしたら何をするのか?」という問いを投げかけるものであり、
かつ同時に、一年でも一ヶ月でも一日でもない5分という何の準備も用意もできないような時間設定が、
結果として「五分後に死んでも悔いの無いように生きる」という結論を自動的に引き出して意識させるような構造になっているように思う。
このムービーを見て、また、「残り~の命」と死までのタイムリミットを設定されてしまった人を結構身近に持って、生きることそのものについて少しリアルに意識が向きかけ、そういったテーマで本やら何やらを探しかけようとしているところにこの東北関東大震災が起こった。
今まで、それこそ自ら命を絶ったり事故や病気で死なない限り、死なないレベルで苦しみながら終わらない日常を延々と死ぬまで生き続けるような「苦モデル」あるいは「生モデル」をベースにした世界に生きていたように思う。
しかし、この東北関東大震災を目の当たりにして、自分はいつ死んでもおかしくない、圧倒的な何ものかに突然殺される事も大いにありうる、という認識をリアルに感じられるようになって、この「苦モデル」や「生モデル」を前提とされていた世界観はかなり揺らいだように思う。
おそらく、震災真っ只中の今の日本は、このような認識と感覚をどこかで共有しているのではないだろうか。
書いているうちについつい長くなった。そして最後まで読み返してみれば、長いだけでなくかなり痛くもある文章でもある。
なぜこんなことを書いたのか良くわからないが、それでもこの長くて痛い文章は、私にとって書かれる必要があったのだと思う。


私は今まで、何人かの友人や知人や親しい人の突然であったり予想されていた死と直面するたびに、彼らに対して行った事や行わなかった事、そして行うべきであったり、行うべきではなかった事で悔やみ、その度に自分や他人がいつ死んでも後悔せずに済むように、常に他人にも自分にも悔いを残さないように心がけるよう意識しながら生きてきたつもりであった。
しかし、この今回の震災の圧倒的な「いつ死んでもおかしくない感」の前では、まだまだその見通しと思いは甘かったことを深く感じた。
今までは、いつ死んでもいいように心がけているつもりでも、少なくともあと少しくらいは死なないだろう。もう少しくらいは猶予があるだろう。と前提していた。
「いつ死んでも良いように」の「いつ」は思った以上に猶予があるような「もう少し先」と同じくらいの感覚で捉えられていたのだ。
しかし、この圧倒的な震災を目にすれば「いつ死んでも良いように」の「いつ」は「もう少し先」ではなく「今すぐ」と捉える方が良いのかもしれないと思える。
「いつ死んでも良いように」は「今すぐ死んでもいいように」と考える方が現実的に正確な認識なのかもしれない。
この震災を目の当たりにして自分が今死ぬことをリアルに想像し、親しい人々に対してそれぞれ伝えたい言葉や想いやなすべき行動が連鎖的に頭に浮かんできた。
もう十分伝えたし悔いも無い人もいれば、あとこれだけはしたり言ったりしておきたいという人、まだまだ言い足りなかったり、とことんまで謝りたい人、そして今すぐ伝えたい事や、もう少し先に伝えたいこと、もし~すれば伝えたいこと、もし~でなければ伝えたいこと、今となっては伝えるに遅すぎることまで色々であった。
今まで色々な前提条件が満たされて初めて伝えたいとぼんやりと思っていたことを、このように前提条件なしで考えてみたのは初めてかもしれない。
そういった前提なしで考えてみると、結局はちゃんと伝えるべきことは伝わっているだろうし、特に伝える必要も無いだろう。という結論に至った事がほとんどであった。
さらに、こいつだけは全力で罵倒して、これだけはどうしても言わせてもらいたいと思っていたような類の事はあまりにもどうでもいい事ばかりであったのにも気づいた。
そういう意味ではある程度は「いつ死んでも良いように」生きてこれたと言えるかもしれないけど、しかし一方でこれは絶対に今すぐにでも伝えられ行動されるべきであるという思いを強くしたものもまたあった。
しかし、いくらそうしたくあっても、これからもずっと伝えられずなされないままに終わるとしか思えない言葉や想いや行動も思いのほか多い。
自分の欲求によって伝えられた言葉や想いや行動が、何かしらの事態の好転をもたらすのではなく、逆に根本的な部分からの破壊や破滅を生むことも大いにあり得る。
そういった結果を生むであろう事は伝えられずなされないままに終わるだろう。
「他者」は私と想いや行動を同じくするわけではないし、また「他者」には私には計ることの出来ない都合というものもあるのだ。
「伝える」という行為には前提として他者の存在が必要で、それらは自分自身で自己完結するものではない。ということはいうまでもなく当たり前であるけれど、「伝える」ということがただ一方的に行われる自分だけの問題なのではなく、他者との間で成り立つ微妙な関係である事の意味を始めてちゃんと理解したような気がする。
「伝える」という事は、ある意味でそれから先の責任を伝えられた相手に押し付けていることにもなるのだ。
人生の設計などというものをほとんどまったく持たない私ではあるが、それでも、死ぬまでにやりたい事、成し遂げたいこと、夢のように思い描くことくらいはある。
そして、それらのことについて本気でその実現の可能性と手段について考えてみたものの、結局、一人で独力でできることなどあまりにも限られていることに気がついた。私の本当に望んでいることは人との係わりの間にしか存在しないことも強く意識した。
私がもし今死ぬとして、本当に後悔したり望むであろうことは、人との係わりの間にしかない。
自分一人で出来て完結できるような事などあまりにも些細な問題であるように思えたし、
そして、結果として、私の望んでいることは、余りにも私のコントロールを大きく離れた場所にあることが良く分かった。
つまり、私の望むことは私だけが何をしようともどうにもならないことばかりであり、本当に望むことは私自身の手では絶対に掴めにゆけないものばかりなのだ。
しかし、それでも、逆にだからこそ、自分一人だけで努力して距離をつめることができたり、自分ひとりで取り組めることは、たとえそれが自分が本当に望んでいることではないにしても、このような余りにもカオスで遠くて薄い世界の中でどれだけ貴重でどれだけ心休ませてくれることか。
「いつか将来」「ちょっと今は時間が無い」と先延ばしにしているつもりであったそれらのことをそのまま放置せず、日常の中の時間に割り当てようと思うようになった。
例えば、ただ聴くだけでなく死ぬまでに一度は自分自身の手で演奏したいピアノソナタ、いつか読もうと買ってある難読書、大好きな著述家の大好きな作品の原書、あるいは色々な方面の勉強、趣味や興味あることに対する追求、そしてこのようなブログのように書き捨てられる文では無いまとまった文章を書くこと。などなど。
この震災は京都に住む私にとって現実的にはほとんどこれといった影響を与えなかったけど、思わぬところで世界認識を一変させ、そして自分の本当に望んでいる事をいやおうなく引きずり出してはっきりさせて、それらとちゃんと向かい合わざるを得ないところにまで追い込んだような気がする。
そしてそれは自分の中の何かの回路が根本的に切り替わるような経験でもあった。
このことは今、過去に起こった事として過去形で語られるのではなく、震災同様に今起こったばかりの、これからも続いてゆくであろう事として、今始まったばかりの現在形で語られるのだ。

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