草間彌生 永遠の永遠の永遠/世界は生きる価値があるか?/世界を救う試み

先日の土曜日に大阪の国立国際美術館で開催されている「草間彌生 永遠の永遠の永遠草間彌生 」に行ってきた。
この草間彌生という人は以前ブログでも紹介したことがある、私の大好きな芸術家の一人である。
彼女は子供の頃から統合失調症を発症し、自分の幻覚や幻聴を描きとめることからその芸術活動をスタートさせ、80歳を超える現在まで常に変わり続け、常にずっと「前衛」と呼ばれ続けてきた。
この展覧会の事をネットで調べていて、この展覧会を「老人の繰り言を聞かされているような展覧会だった」と評してあるのを読んで大笑いしてしまった。確かにそんな感じだwww
確かにそんな感じなのだが、しかし、繰り言の中にこそ真実がある。
もう世界が認める大芸術家になっても、「痛ポエム」を堂々と発表するし、
kusamapoem.jpg(クリックで拡大)
常に自殺したいと思ってるのに死ぬのは怖い、と言い続け、「芸術へのあこがれを見いだす」ことで自ら命を絶つことなく生き延びてきたという。
子供の頃から狂気と戦ってきた彼女にとって、世界や自分はとても辛く過酷なものだった。彼女は生き延びるために、ひたすら芸術活動に打ち込んできたのだ。
かのベートーヴェンもハイリゲンシュタットの遺書の中で「私は危うく自分の命を絶とうとした。~私を引き止めたのは芸術だった。ただこれのみだった。」と書いている。
ずっと「死のあこがれと恐怖」を抱いてきた彼女にとって、芸術活動こそが自分と世界を救う試みであったことは間違いないだろう。
殆どの人にとってはそうではないかもしれないけど、彼女にとって「自殺を避ける」は生きてゆく中でとても大きなテーマのひとつだったのだ。
そして、老人が繰言をつぶやき続けるように、自殺の誘惑と戦いつづけながら生き抜いてきたのだ。
少なくとも私はそういうものとして、草間彌生と彼女の芸術をとらえている。
彼女の水玉作品は色々なモノのモチーフとされていて目にすることは多いけど、彼女の作品の本当の素晴らしさは本当に実物を見ないと伝わってこない。と断言できる。
例えば、このページには今回の展覧会に出品されている作品が数点紹介されているが、こんなページや画集の縮小された小さな作品を見たところでほとんど何も伝わってこない。
実際のこれらの作品は小さいもので一メートル少し、大きいものに一辺が2メートルほどあり、その前に立つとその大きさのもつエネルギーに圧倒される。
草間彌生の作品は、小さな画像で見るのと、実際の大きさで見るのとは全く違う経験として伝わってくるのだ。


この展覧会は彼女の2005年からの3年間で一気に書き上げた『愛はとこしえ』なるテーマの
こんな感じの
花咲けるニューヨーク /2005 ©草間彌生
モノクロの作品群50点と、
2009年から始まったこんな感じの
私大好き、とても好き /2010 ©草間彌生 人間の一生 /2010 @草間彌生
カラフルで象徴的な大量の作品群、
3つの巨大な自画像と有名な黄色と黒の水玉南瓜巨大オブジェクト
s-DSCN3900.jpg
赤と白の水玉チューリップのインスタレーション、様々な色の大量の電飾を吊るした鏡張りの部屋に入ることで鑑賞するインスタレーションという風に盛りだくさんである。
ちなみにインスタレーションてのはオブジェクトとか作品を置いた部屋とかの空間そのものを作品とする現代アートのひとつのジャンルのアレですな。
草間彌生といえば「水玉」と言われるくらいだけあって、彼女にとって「水玉」はただ好きなだけではなく、子供の頃から幻聴や幻覚から防御フィールドのように、耳なし芳市の経文のように自分を守ってくれるモチーフであり、水玉で自分を多い尽くすことで自分を守ってきたのだった。
しかし、今回の「絵画」の作品群に水玉のモチーフはあまり無く、入って直ぐ、壁の横一面に隙間泣く並べられた『愛はとこしえ』の作品群を目にして直ぐに圧倒された。「圧倒的じゃないか…我が軍は…」という台詞が浮かんでくるぐらいw
モノクロの様々な目や顔や植物や生物のパターンの連鎖が壁を埋め尽くしている、狂気の淵に踏みとどまりながらも生命直に満ち溢れているような、圧倒的な量と質の作品群の前にいると無闇に感動が湧き上がってくる。
これは草間彌生が水玉防御フィールド無しで見ている自分の中と自分を取り巻く世界のイメージなんだろうという気がした。
そして草間彌生はこんな世界でずっと孤独に生きて孤独な戦いを戦い続けてきたのかと思うと涙が出そうになった。
このモノクロの作品群の中で印象的だったのが「女の一生」という作品。
ふつう「一生」といえば成長した老いたりとか何かしらの変化をイメージしそうなものなのだが、草間彌生の書く「女の一生」は目と横顔の同じようなパターンの無限の繰り返しとして表現されていて「は?この目と横顔の繰り返しが一生??」ととても印象深かったのだ。
さっき載せた画像の「人間の一生」って作品もカラーではあれど目と横顔だけで構成されていたので、彼女にとって「一生」とは目と横顔のパターンで象徴されるんやろうねぇ。
水玉防御フィールドで自らを守ってきた彼女であるけど、後半のカラフルな最新の作品群を見ていると、息の詰まるようなモノクロの作品群に比べて、なんだか積極的に世界や自分を肯定したり承認しようとしているように見えた。
自らの芸術の生み出した水玉で自らを守ることをしなくても、世界を歩き世界を肯定することの出来るようになった彼女は、今やその芸術で世界そのものを救おうとし始めたかのように見えた。
死に迫りつつある草間彌生は次は一体どんな作品を生み出そうとするのだろうかとても楽しみである。
草間彌生先生の次回作にご期待ください!!だな。ってこんなん書いたらマジ怒られるで。ほんまシャレにならんがな。
ということで、私は草間彌生手ぬぐいを買ってきた。夏が楽しみ!
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展覧会から出てきてから、国立国際美術館の近くにあるホテルで草間彌生展開催記念特別メニューとして「キウイとミルクチョコレートのムースセット」なるものが企画されているのを知ったので、これは食べとかんとあかんやろということでスイーツしてきた。
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確かに水玉ww草間彌生っぽいww
さらに、伝票に「水玉デザート」って書いてあって笑ってしまった。
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しかしこの展覧会はここ何年かで一番感動した素晴らしい展覧会だった。もう大阪は4/7と4/8しか残ってないけど機会のある方はぜひ行くべき。
大阪が終わっても、年内は埼玉県立近代美術館、松本市美術館、新潟市美術館と巡回するみたいやからチャンスはまだありますぞ。

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