初きのこ狩り/キノコ取りがキノコになった私はこの先生きのこることができるのか?

以前から行きたくてしょうがなかった「きのこ狩り」に初めて行った。
「キノコ」に興味を持ち出してからというもの、キノコ図鑑を買ったりきのこ本を読んだりしていたが、実際に実際にキノコを狩るために出かけるというのは初めてである。
しかもこのキノコ狩りは私がキノコに開眼した切欠となったキノコ師匠であるキノコ先生のナビゲーション。
作戦行動に先立ち、そのキノコ先生より某地下鉄の最終地点の「山」に程近い某駅に集合せよと入電がある。
むむ「山」か。きのこ狩りといえば山、山といえばサバイバルだろうということで、私はもう遭難覚悟で挑んだ。
ウッドランド迷彩のカーゴパンツにタンカラーのジャングルブーツを履いて集合地点に赴く。
キノコ先生ともう一人のキノコ隊員は至って普通の服…うむ、私だけ明らかに過剰な装備だな。
前日に泥水を吸うと飲料水になるストローとかはいらんのか?非常食は何日分?ライトの予備電池はいくつ必要?俺キノコ狩りから帰ってきたら…するんだ。とか一瞬でも考えた私が恥ずかしい。
たとえば、魚を突きに行くだとか言った場合それなりの場所に行かないと狩りにならない、魚突きをするためには少なくとも「海」には行く必要はある。
しかし「キノコ」は「山」にだけ生えるわけではない。山はもちろんその辺の道端から公園から河川敷、万年床の布団の下からジメジメした押入れからお風呂の椅子まで、どこでも生える。
つまり「キノコ狩り」は我々の回り全てがフィールドとなるわけである。
ということで、今回は春キノコの「アミガサタケ」を探すのが目的の、お昼から出陣のキノコ入門クエストである。
山に分け入ることも無く、途中休憩のスイーツなカフェでソフトクリームを食べ、電車で移動し、お散歩がてらのきのこ採集であった。
ということで、とりあえずさしあたりの成果報告をば。
画像はすべてクリックすると大きくなりますぞ。


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なんかよく分からないキノコ。キノコ先生によると「食べても死ぬことは無いと思う」との事…
こんな感じにキノコらしいキノコが生えているのはとても可愛らしい。ちっこくなって傘の下で本とか読みたい。
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ホコリタケ(幼菌)?ヒメカタショウロ?ニセショウロ族の何か?よくわかりません。私はホコリタケ(幼菌)と同定しました。
ホコリタケなら食べられるけど、ニセショウロ族なら毒!食べるか?食べてみるか?どうする?やめときましたorz
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ホコリタケ こちらは大人のホコリタケ。つんつんすると先っぽの穴から胞子を吹き出して面白い。写ってるのはキノコ先生の指、このホコリタケはキノコ隊3人にコレでもかとツンツンされて嬉しそう。
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タマキクラゲ たまたま拾った枝についていた。グミっぽい。私の手持ちの図鑑のどれにも載っていない。「無味無臭」らしいが無味無臭なら食べてみるか?と考えるかやめとこうと考えるかで食欲の皮の突っ張り度合いが判定できそうですな。
もちろん私は食べようと考えるタイプですが…
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ヒトクチタケ? 松の皮の割れ目に食い込んでいた。とても可愛くて美味しそうな臭い。でも食べられないらしい。ヒトクチタケなのに?ヒトクチタケなのにか(怒!
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ツチグリ ホコリタケ同様つんつんすると胞子を吹き出す。普通パッと見きのこには見えん。何かしら植物というよりは(菌類やけど…)シューティングゲームの地上物みたい。
キノコがむやみにぶっ飛んだ非日常な形や構造をしている良い例だと思う。そのヒラヒラは一体何なんや??
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エノキダケ 自然のエノキダケはこんな感じで、スーパーで売ってるエノキタケは栽培されたもやしっ子だそうです。
キノコ先生によるとこの切り株上のエノキダケは古すぎて殆ど痛んでいるらしい。
腐ってやがる…遅すぎたんだ!
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そして、私が一度見てみたかったアミガサタケ!正確にはトガリアミガサタケ!
西洋では高級品とされておりますですぞ。
このちょこーんと顔を覗かせる様などいとをかし。しかし不思議な形である。
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じゃーん、キノコ先生の秘密のキノコの森で五本捕獲!素晴らしい!
一緒に映っているのはキノコ先生の装備品キノコ専用ナイフ。きのこ師しか装備できず、通常の三倍キノコを採るらしい。
ちなみに私はキノコ士見習いなのでキッチンバサミしか装備できない。
どのきのこが何処に生えるかという特定の場所の事をキノコ業界では「シロ」と呼び、高級なキノコであれば親や子供にすら教えないらしい。
そんななかでキノコ先生がキノコ隊員の我々を「シロ」に案内してくれたのは言葉では言い尽くせない愛と信頼を感じる。なんともありがたいことではないか。
私の人生でやりたいことのいくつかの一つは「アミガサタケが生えているのを見る」だったのだが、まさかそれが「アミガサタケを食べる」とセットで叶ってしまうとは…
これで人生の「思い残すことリスト」が一つ減った。
いや、この「思い残すことリスト」の「アミガサタケが生えているのを見る」は「自力でアミガサタケ出現ポイントを発見する」に更新ですな。
私は昔から「きのこ狩り」が果たして「狩り」なのかどうか疑問を持っていた。
私は海に潜って素潜りで魚を突くのが好きで、魚に気配を殺して近づいて、或いは待ち伏せしたりおびき寄せたりして魚に銛を打ち込むというアグレッシブな狩猟的なことを行っており、こういうものこそ「狩り」というのではないか、生えているキノコを摘み取る「キノコ狩り」は「狩る」ではなく「拾う」あるいは「毟る」ではないのかと。
いやしかしどうして、キノコは単純に拾ったり毟ったりするだけのものでは決して無かった。
潅木の陰の中の更に落葉の影にそっと森と一体になって思案深げにたたずむトガリアミガサタケを発見するのは、砂浜に潜むヒラメをわずかな砂の起伏の変化の「雰囲気」を感じ取って見つけるのと同様の、ジャングルの中でギリースーツに身を包んだスナイパーを後ろから忍び寄ってナイフアタックするような、「狩り」の要素を持った集中力と捜索力を必要とされるのだと確信した。
先で述べたようにキノコは我々の日常の延長にどこでもあるので、特別な「狩場」に行くことなくどこにでもキノコを発見することが出来る。
そして我々の日常のどこにでもある「キノコ」を発見し、そして自らの生活の一部に組み込むのは、頭で考えるだけでもダメ、適当に探すだけでもダメ、野生の勘だけでもダメ、ひたすら探すだけでもダメ、といったある種総合的な生活に根ざした実存への試みでもあるのだ。
キノコを愛でキノコを食しキノコに思いを馳せキノコと戯れるのは「きのこる」という一ジャンルの生き方や哲学そのものでもあるのだと。
仕事帰りに、遊びに行く時に、自転車を走らせながらちょっとした地面や草原や木を見るとついついキノコを探し、ふとした時にキノコに思いを馳せてきのこっている自分を発見して、
うむ、キノコとりがキノコになるとはまさにこのこと、私は冬虫夏草のようにマタンゴ菌に侵食されているのではないか?
緩慢にマタンゴ化しつつある私はこの先生きのこることができるのだろうか?
などと思ったのであった。

2件のコメント

  • キノコ狩りっちゅうのは、けっこう健康的やし、しかもお金かからんから、ええ趣味やと思うよ。奥深すぎて、究めきること不可能という切りのなさもよい‥‥
    それにしても、あのシロは巨大だよね。フレンチの料理人に教えたら、泣いて喜ぶと思う。

  • すっかりキノコにはまってしまい、きのこる毎日です。
    そうですかぁ。あのシロは巨大ですかぁ。
    キノコ道に入門してすぐにあんなシロに行き当たっていいのだろうか…
    と思っております…

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