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2016年8月22日

京都市美術館の「ダリ展」と京都文化博物館の「ダリ版画展」、そして京都国立近代美術館

先日、京都市美術館で開催されている「ダリ展」、その向かいの京都国立近代美術館のコレクション展、そして京都文化博物館の「ダリ版画展」と3つの展覧会をはしごしてきた。

サルバトール・ダリなる人物は生まれつきの天才で、奇人で独創的なシュールリアリズムの画家というイメージがある。
しかし、若いころはモネ風な印象派だったりピカソ風キュビズムだったり、マティス風フォービズムっぽい絵を描いたりしていたし、彼が自身のスタイルを確立してからもシュールリアリスム的モチーフの主な源泉だった夢を記録するために、椅子の背にスプーンを置いて寝て、寝入りそうになるとスプーンが落ちて目が覚める。という涙ぐましい努力を密かに行っており、根っからの先天的な天才というよりはある程度作られた部分があるように思う。
彼自身も「天才になるには天才のふりをすればいい」という言葉を残しているくらいだ。

彼の「いかにもダリ」という作風が芽生え始めるのは彼の生涯の伴侶となったガラと出会ってからで、後の彼の「奇人ダリ」という一つの世界を、作品からキャラクターから言動までのすべてをプロデュースしてコントロールしていたのはダリ自身ではなく、彼のミューズであり支配者でもあったガラだという話は有名だ。
ダリよりも10歳年上だったガラはずっとダリの妻でプロデューサーでありつつも堂々と若い芸術家の恋人たちを複数人面倒を見て、一方のダリも晩年にはガラ公認のアマンダ・リアなる40歳年下の恋人がいた。
一般的には少し歪んだ夫婦関係に見えるけど、それでもガラの死後のダリが創作活動を拒否して閉じこもり後を追うように死んでしまったくらいで、お互いはお互いを生涯特別な存在として愛し添い遂げたことだけは間違いない。

で、京都市美術館の「ダリ展」について、

彼の生涯にわたっての作品を網羅的に扱うこの展示会ではそのダリとガラの関係を突っ込んで考察したり解説してあるかと期待したのだが全然そうではなかった。
ガラに関しては1つのコーナが設けてあったのだが、結局「ガラは彼にとってミューズでありプロデューサーであった」みたいな、そんな知っとるわー的なことばかりで、結局ダリにとってのガラの魅力とか、ダリはどんな影響をガラから受けたのか、そんな事は全然わからず仕舞いだった。

そういえば、以前、フランスの画家バルテュスが45歳の時に人里離れた城館で15歳の恋人の少女と2人だけでほとんどだれとも合わずに8年間暮らし、その間はほとんど田園風景とその少女の絵しか書かなかった事実を同じく京都市美術館でやってた「バルテュス展」で完全スルーされていた事を書いたことがあった。
→「バルテュスを通してロリコンと美を考える

こんな感じのでっかい美術館での大規模展覧会では無難なところはオブラートとどころか完全スルーされる傾向があるなー

この展覧会で私が一番「おおっ!」と思ったのは「不思議の国のアリスの挿絵」だろうか。
19世紀末から現在に至るまでの芸術家の多くがそうであるように、ダリも純粋芸術たる絵画だけでなく、商業デザインから舞台演出から建築から本の挿絵に至るまで実に様々なジャンルに関わっており、その「不思議の国のアリスの挿絵」もそんな中の1つだ。

しかし挿絵と言いつつも前もって知っていなければ「不思議の国のアリス」とは分からないダリっぷり、ダリは何を描いてもダリでしかない。
その扉絵1枚と挿絵12枚のどれもがシュールなのだが、注目すべきはこの1枚「狂気のティーパーティー」だ。


この挿絵に描かれている蝶が実際に存在する蝶であることは昆虫好きな人から見れば一目瞭然だろう。
この蝶のほかにもほかの挿絵に登場するナナフシだのカミキリムシだの昆虫だけが妙に写実的なリアルさを持っているのが変に印象に残る。
蝶の模様といえばいかにもシュールにデザインできそうなものだけど、模様を考えるのが大変だから図鑑なり写真ををそのまま写したんじゃないかという気がしないでもない。
このあまり写実的な絵が、ダリにすれば逆にあまりに適当すぎるようで笑った。

で、そんなダリの挿絵やらなんやらの版画に特化した京都文化博物館の「ダリ版画展」である。

このパンフレットの蝶がすでに不思議の国のアリスの挿絵と同じく写実そのものでちょっと笑ってしまうけど、絵ではなくコラージュなのであまり違和感はない。
京都市美術館がかなりの人出だったのに引き換え、この版画展は人も少なくて心地よかったし、網羅的な「ダリ展」に引き換え、円熟期以降の「版画」に絞ったこの展覧会はテーマが明確でその分内容も濃かったように思う。
例のごとく言われなければそうとはわからないダンテ『神曲』の挿絵も、「実は神曲を読んだことがない」と5年後にダリが告白していると解説したり、日本の民話につけた挿絵を「明らかに内容と関係ない」と解説したりなかなか可笑しかった。

『神曲』は読んだことがなくてもそれらしくイメージして適当な挿絵を描けるような気がするけど、昔話の「花咲か爺さん」の挿絵でシュールなドラゴンらしき生物とシュールな馬らしきものに乗ったナイトらしきものが戦っているのには笑った。いやいや、絶対そんなん出て来んしね。
「昔話言うたらドラゴンと騎士やろー」的な安直な発想が透けて見えるようである。
本文を全部読まずに評論を描いたり、映画を見ずに解説したりするという話はよく聞くけど、本文を読まずに挿絵を描いてしまうダリの天才っぷりは素晴らしい!
いろいろな方向にぶっ飛んだダリの芸術性だけでなく、適当さだとかお茶目さも伝わってくるような展覧会だったと思う。

そして、その2つの間の展覧会の間に京都市美術館の向かいの京都国立近代美術館の常設展に寄ってきた。
去年に所蔵したというクリムト、ココシュカ、そしてエゴン・シーレの素描やら版画で構成された「ウィーン世紀末のグラフィック」コレクションが目当てだったけど、展示自体がとても少なく、それよりもマネキンを使った作品群の「キュレトリアル・スタディズ11: 七彩に集った作家たち」がとても面白かったし、ミュージアムカフェの甘々トーストもおいしかった。
やっぱり私は現代アートが好きなんだなと。そしてもうダリはもうすでに古典なんだなーと思ったのであった。

 

 

  

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