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2016年9月8日

世界の巨匠たちが子どもだったころ@京都伊勢丹美術館えき

「終わりそうな展覧会の感想を書くシリーズ」今回は京都伊勢丹美術館えきで開催されている「世界の巨匠たちが子どもだったころ」についてだー

内容はタイトルの通り日本から世界までの巨匠と呼ばれる画家やデザイナーの10代の頃の作品ばかりを集めた展覧会である。
展示品はいろいろな博物館美術館から借りてきたのではなく、愛知の「おかざき世界子ども美術博物館」がこの趣旨で集めたコレクションをそのまま持ってきただけであったけど、この展覧会は巡回展ではなくこの「京都伊勢丹美術館えき」だけで開催されているようで、やるなー伊勢丹という感じである。
過去に観る前はそれほど興味がなかった北澤美術館のガレとドームのガラス食器とか、ウフィツィ美術館の自画像コレクションを現地ではない京都だったり大阪だったりで観て大好きになったりしたけど、個性のあるコレクションを現地まで行かずに鑑賞できる方向性の企画展は大好きである。

で、展覧会の内容についてであるけど、結局この展覧会に来る人の一番の興味は「巨匠は子供の頃から巨匠なのか?」に尽きるのではないかと思う。
画像にあるピカソの14歳のデッサンとかはおおーっ!と圧倒されるし、16歳の平山郁夫が描いた虎とかも渋すぎて笑えるくらいに子供の頃から巨匠感満開であるけど、そうでない子供っぽい絵も多く、この展覧会を観た私の「巨匠は子供の頃から巨匠なのか?」に対する結論は「人による」という身も蓋もないものであった…

とはいえ、どの巨匠の子供の頃の絵も技術的な部分とは別に、巨匠と呼ばれるような、心を揺さぶられたり衝撃を与えらたれたりするほどの絵かといえばそうではなかった。
圧倒的な筆力のピカソのデッサンやエゴン・シーレが描いた姉の絵や平山郁夫の虎よりも、それよりも遥かに簡素に書かれたキュビズム的な絵や自分の醜さを書いた自画像や、シルクロードの風景の絵のほうが遥かに迫ってくるものがある。
当たり前といえば当たり前であるけど、巨匠が巨匠であるのは絵の上の技術でも力でもなくまた別の、書かれた絵の先だったり奥だったりするその人間そのものに由来する何かだと改めて思った。

人間は生きていれば進化したり退化したり伸びたり縮んだりするわけであるけど、オッサンになって思うのはこのくらいの歳になると、生まれた環境とか子供の頃に何をしていたとかいった系統的な要素はほとんど関係なく、どう生きて何を自分で学んだかという個体レベルの差が大きくなるとつくづく思う。
子供だったり若かった頃に感じた系統差のようなものはオッサンになると殆どなくなって個体差しかなくなってくるように思う。
私ももう私が只の人間であるとこの先や奥のほうで何かしら成長して、「ドグー」から「ドグリュー」くらいに進化すると良いな~

で、そんな「世界の巨匠たちが子どもだったころ」点は京都伊勢丹美術館「えき」で2016年9/11までだ~急げ~

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