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2020年10月28日

兵庫県立美術館「ミナ ペルホネン / 皆川明 つづく」/シュレディンガーのペルホネンと妖怪化けコート/あるいはアートの持つエネルギーについて。

みんな大好きミナペルホネン!(若干おやじギャグ)
ということで、先週の金曜に仕事を休んで兵庫県立美術館で開催されている特別展「ミナ ペルホネン / 皆川明 つづく」に行ってきた。

今年はコロナ禍ということでひたすら引きこもっていたので、最後にミュージアムや展覧会に行ったのはほぼ一年前の2019年11月はじめの京都文化博物館でやってた『みんなのミュシャ』展以来だった。(その様子のツイートはこちら。
毎週欠かさず録画して観ている日曜美術館で真夏にこの展覧会が紹介されており、それがとても面白かったのでぜひ行こうと思っていたのだが、新コロに加えて異様な暑さの夏だったのですぐには行く気にはなれず、ようやく涼しくなって来たこの週末に新コロちゃんにビクビクしながら神戸までお出かけしたのだった。

現在コロナ禍真っ盛りということで入場は予約制となっており、事前にローソンチケットとかで購入してから行く必要があった…はずなのだがしかし!現地についたらふつーにチケット売ってた。
仕事休んで平日に繰り出した私には全く意味がなかったけど、土日とかで人がいっぱいやった場合は予約してないと入れないとか?
しかし、平日にも関わらずお客さんは結構いたのでこれが土日やったら濃厚接触展覧会状態やったかもなのでこれで良かったのかもしれない。

展覧会の趣旨としてはファッションブランドの「ミナペルホネン」とその創業者でありデザイナーの皆川明の服やテキスタイルや服飾品づくりを貫く思想とかコンセプトとかストーリーを展示されている創業当時からの作品(商品)とともに紹介する。というところだろうか。
この「森 pieces of clothes」なる展示室は、時代の流行や時勢に左右されない普遍性を持った服作りを目指しているというコンセプトを表現したもので、ミナペルホネン25年の歴史の中で発表された新作を一つの部屋に時代を混ぜて並べてあり、広い部屋の壁面が素材も色もとりどりなワンピースやらツーピースやらで埋め尽くされている。
たしかにどれを見ても古臭くもないし妙に尖ってもいないし皆キレイで可愛くて素晴らしい。それになによりこうやって並べても一つとして埋没して個性がなくなるものがないというのも素晴らしい。
というよりも、もうこの部屋に入るだけでこの色と素材のデザインとテキスタイルの渦に圧倒される。たとえよく訓練された服好きであろうが、溢れてくるドーパミンを抑えることは無理でしょうな。


「種 ideas and study」と名付けられた展示室では、ミナペルホネンの歴史の中での色々な試みとアイデアを紹介している。
それは皆川明氏がフィンランドに旅した時に一目惚れして旅費のほとんどを使ってコートを購入したところから彼のブランドが始まったという。
ブランド名のminä perhonenがフィンランド語の「私」と「蝶」を指す言葉であることも、どこか北欧テイストなのもそういう事だったのですな。

そして、その彼の身に着けることで持ち主の個性や意図のようなものを体現したいという思いを一番表しているように見えた面白い物がこのkakurenboなるテキスタイルである。
これは購入者が各々そのブランドイメージである蝶の隠れている円部分を幾つか切り抜いて、初期状態を作り、気分によって、あるいは何かの記念に切り抜いてカスタムしてゆく作りになっている。
この服は工業的に生産される「product」でありながらも、身に着ける人が継続的に手を加えることでユニークなものになり、かつそこにストーリーが生まれるというわけである。

と、こんな感じに蝶を観測できる状態に変えてしまうことが存在そのものの在り方を変えてしまう。切り抜くまでは蝶の存在は存在と非存在がまじりあっているわけで、これはいわば「シュレディンガーのペルホネン」だー。とこれが言いたかっただけ。

超がつくほどのハイブランドのワンピースなどは一度のパーティーとかで着ることだけを目的に作られており、一度でもクリーニングすると色は落ちるは形は崩壊するわでエライことになる「何タイマーやねんそれー」みたいな感じだと聞くが、
ミナペルホネンのyuki-no-hiなるテキスタイルで作られたコートは袖や裾やポケット擦り切れると内側の黄色い色が見えて来るようにデザインされおり、何度も何度も洗濯して何十年も着続けるということを前提に作られている。
画像はその「yuki-no-hi」のテキスタイルと、袖が擦り切れて中の黄色が見えてきている様である。

ジーンズがいい感じに色落ちしたりほつれて来るのを「エイジング」とかいうけど、この場合はただ歳を重ねるだけでなく、育っているわけで「グローイング」とも言える。

そんな感じで長く着続けた服は着ていた人と歴史を刻み人とともに成長してゆくわけで、そんな服たちを服を買った人から借りてきてその思い出と共に紹介してあるのがこの展示室「土 memory of clothes」である。
こちらは撮影禁止の部屋だったので「日曜美術館」の映像で紹介するが、こんな感じに所有者の服とその思い出などが展示されているわけである。

一つ引用してみると

子どもの小学校の入学式、"friend"のワンピースを着て参列しました。
たくさんの友達に恵まれてほしいとの思い。期待と緊張の混じった我が子の幼い顔、真新しいランドセル。私の新しいワンピース。このワンピースを着るといつも、入学式の初心を思い出しました。
今春、中学校の入学式。私はまた"friend"のワンピースに袖を通しました。小学一年生だった子どもの姿が鮮明に思い出されて、可愛くて懐かしくてとても幸せな気持ちになりました。すっかり大きくなった子供の背中が眩しく見えました。そして、来春に控えた下の子の入学式も同じ思いでまた、このワンピースと共に子供の成長を見守りたいと思います。

どうよ?
これはエモい!エモすぎる!私くらいのおっさんになるともう読んでるだけでグッとくる。これはもう服というよりペットみたいな感じですな。何十年も大事に着続けられ、人の情念と感情を吸い続けたミナペルホネンのコートはもう化け猫のようなものである。
化け猫ならぬ化けコートであるからには夜な夜なタンスを抜け出して他のブランドのスカーフを食いちぎり、鞄に穴を開け、スーツのボタンをむしり取り、ワンピースの裏地を引っ剥がしたりしてるのかもしれない…

と、こんな感じでこの展覧会では皆川明氏の考える「物が記憶になる」や自らのブランドを指して言う「特別な日常服」のコンセプトが存分に感じられる良い展覧会だった。
手拭いコレクターである私であるから、展覧会に行って物販コーナーで手拭いがあると必ず買うようにしてるのだが、期待した通り手拭いも売っていたので思わず3つ買った。ちゃんとminä perhonenって書いてあるー

とにかくこの展覧会は会場全体が服とか鞄とか小物とかデザイン画で埋め尽くされており、もう服好きにはたまらん展覧会だろう。一年ぶりの展覧会という事もあり余りにも楽しすぎて3時間以上いた。おまけに久しぶりにブログまで書いたのだ。

去年、京都国立近代美術館で開催されてた「ドレス・コード?―着る人たちのゲーム」展に行ったときにも思ったことだけど、(その様子は こちら こちら)
服とかファッション系の展覧会がこんなにもワクワクするのは絵やインスタレーションや写真のように、対象として目で見て頭で処理するアートなのではなく、自分が身につけたり履いたりするものだという前提の身体性に基づいたアートだからのような気がする。
どこか遊びに行く時に何着てどの靴履いて行こうか悩むのが楽しい。などと思う人にとっては服なる存在そのものにそんな感じの高揚感が内在されていることになるんじゃないだろうか。
しかし、逆に考えれば前提された身体性を根拠とせずに知覚器官と頭だけで我々の存在全体を揺すぶるようなアートは本当にすごいエネルギーを持ってるってことになるわけだ。

アートは不要不急やとか言うてる奴は反省しろー!!

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