海に行った/魚を突くという事

久しぶりに海に行った。
潜ってヤスで魚を突き、ヤスを捨ててタコにナイフアタックし、夏の日差しに焼かれながらシロギスを干物にしているとえもいわれぬ至福感が体に満ちてくる。
ちっこいマダイ、シマウシノシタとカワハギとカサゴを突き、マダコを例のごとくナイフアタックで捕獲。そして釣ったシロギスを干物にした。

20100730madai.jpg20100730iroiro.jpg20100730shirogisu.jpg(それぞれクリックで拡大)

昔のように求道的に突くべき魚のみを追い求めるような事はもう無くなった。
殺意の塊になって深く潜り、低酸素の状態で水圧を受け、魚を狙って大量にアドレナリンを分泌して、殆ど神秘体験に近いようなトランス状態になるような事はもう無くなった。
近場で潜ってお手軽にオカズ魚を狩り、砂浜でシロギスを釣り、海を眺めながら動物クッキーを食べてコーヒーを飲むだけで十分である。
しかしこれもそういったところを潜り抜けてきたからこそ感じられるようになった感覚であると思う。


考えてみれば、昔は本当に限りなく死を意識しながら潜っていたのだと思う。
というよりも、深い海底にいると死というものが本当に近いすぐそばにあるのをリアルに感じるし、また逆に今までに体験した事のなかった深度に到達し、今までにない時間を海中に滞在するにつれ人間にとっての死線が意外に思ってたよりも遥かに向こう側にある事を実体験として身をもって知ったという感覚であろうか。
魚突きの面白いところは、どんなトランス状態になっても、どんな精神状態になっても、完全に最初から最後まで理性で自分自身の行動を制御する必要があり、それが求められるところであると思う。
潜って魚を突くという限りなく野蛮で野性的な行為であるにもかかわらず、感情や衝動だけで行動していては魚など突けないし、身の危険すらある。
このような完全に理性のみで自らの存在を制御する感覚というのは、陸上ではあまり感じる事の無い感覚であるし、そんな感覚の中にいるとなぜかとても自分に自身が持てるような気がするのである。
今は海に潜ってもそんな感覚を感じる事は殆どないけど、それでも自分が過去にそんな感覚を感じて、そんな感覚の中にいたことを思い出せる。
それは過ぎ去ってしまった今となっても、なんとも心休まるものである。
なんというか、久しぶりに海に来て、魚突きを始めてから本当前より海が好きになったし、本当に自分自身が変わったことをつくづく感じたのであった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP