ヘチマをめぐる冒険

家の窓の枠に絡み付いているヘチマの実が40cmを超えるくらいの大きさになってきた。
相変わらずクロオオアリがヘチマの樹液を求めて巡回しており、まだ咲いてる花にもクマバチやらマルハナバチやらミツバチが訪れて来る。
よく見れば雄花の脇にお腹がパンパンに膨らんだハラビロカマキリがとまっている。捕まえてハリガネムシでも摘出したい欲求に駆られるが、出てきたハリガネムシの処置に困るので思いとどまる。
働いてる虫やらを見ているとまったく飽きない。気づけば歩き回ったり飛来したりじっとしている虫たちを数時間ほど眺めていたけど、その間ハラビロカマキリは身じろぎもせず獲物を待っていた。
いつ訪れるかも分らぬ一瞬のチャンスを動かずに待ち続けるカマキリをじーっと見ていると、見ているこちらが緊張感に気圧される。
カマキリの方は緊張も集中もしてないやろうけど、そう感じるのは見ている方の感覚を投影しているからだろう。
魚突きの時、海底や根で「待ち」をしている時の俺はかなりの緊張感を持って周りを探っているし、つまりはそれが殺気というものになるのだろう。視界に入った魚が目を動かした瞬間にダッシュで逃げるというのもつまるところそれがゆえかも知れない。このハラビロカマキリのような自然体の「待ち」は俺には無理やと当たり前のことを思った。


ターゲットを待ち続ける狙撃手のようにじっとしているカマキリに引き換え、アリはなんと忙しなく働いていることか。
実は働かずにサボっている奴も相当数いるという研究結果もあるらしいけど、見ている限りとても忙しそうだ。
考えて見れば真社会性昆虫と呼ばれる奴らはほとんど例外なく忙しそうに見える。社会性動物というライフスタイルが忙しさも呼び込むのか。働き者の性質が社会性を形成する方向に働くのか。
しかしながら、俺にはただ群れて好き勝手に草の汁を吸っているだけにしか見えないアブラムシも実は社会性生物に分類されるらしい。
「忙しい=社会性生物」という図式が自然に頭に浮かぶけど、これは単なる思い込みに過ぎないのだろう。
アブラムシ型の社会のほうがなんかまったりして良い社会のようにも思えるけど、これは単に食料がふんだんにあるかそうでないか、お菓子の家に住んでいるか砂漠に住んでいるかの違いではないか、と思わなくもない。
職業軍人(兵アブラムシ)がいる社会と国民皆兵制(アリとかハチ)を敷いている社会のどちらが良い社会かという方面も検討せんとあかんのと違うか?
などと考え出したら際限ない。
一日中地面にはいつくばって虫を観察していたアンリ・ファーブル先生はかなりの変人扱いされてたという。
数時間虫を眺めてニヤニヤしている自分を冷静に振り返って「ちょっとヤバ目かも」と思うくらいなので、ファーブル先生のおかしさ加減は相当なものだっただろう。
いずれにせよ自分の部屋の窓にちょっとした分りやすくステレオタイプな生態系が出来ているわけで、そういうのは何とも嬉しいものだ。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP