一昔前の青年の如き健全な日曜日
午前中に洗濯物を取り込み、午後前から外出。
気づけば一乗寺の恵文社に入っていた。
日曜日ということで客が小洒落たカップルばかりでとても「本」を扱う店に思えない。
ちょっと高い目の食べ物やさんのように客筋が良くって、店の雰囲気は悪くなく、店にいて気分は悪くない。
置いてある本もテーマがあって、実名を出すのはなんやけど、ビレッジバソガードよりは落ち着いたチョイスがいい感じ。
「自分で本が選べない奴が行く店」とまでは言わないけど、不案内なジャンルへ入門するにあたりこんな店はかなり役に立つだろう。
それでも、血で書かれたモノこそが「書物」と呼ばれるべきだ。などと旧時代的な偏見を持つ目から見ればやっぱり違和感がある。
というところで、自分自身が「本」に対してあまりにも暑苦しい接し方をしているのに気づく。
もっと気楽に接すれば良いやん。と料理の本を立ち読みしながら思った。
健全に夕方に帰宅後夕食を作る。
冷蔵庫に大量に転がる大根を消費し、朝ご飯用おかずを確保すべく、
ありあわせ野菜(大根にんじんジャガイモごぼう豚肉)の煮物と、ありあわせ野菜(大根ナス白菜ピーマン)の胡麻味噌和えと、ありあわせ湯通し野菜(大根白菜ニンジン玉ねぎ)の漬物風サラダを大量生産しておく。
これで数日は食卓に一品増えるだろう。
父が酢橘を大量に買ってきたので、なんとなく茹蛸と蒟蒻のカルパッチョを作る。
蛸は冷凍した状態だと極限まで薄くスライスできるので楽しい。
餃子を焼くついでがあったので揚げニンニクを作ってカルパッチョに振りかけてみる。
酢橘の酸味とパセリの香りと蛸の味にとてもよく合ってかなり美味しかった。
昨日の残りの玉ねぎとキュウリのサラダを味噌汁の具にしたのだが、以外にキュウリが味噌に合っていた。
土偶が作る料理は「雲のジュウザ」のようなスタンスと言えばとってもかっこよさげに聞こえるが、ようはありあわせで適当ということだ。
ありあわせ適当料理のレシピなどというものをブログに書けばネタには困らないけど、レシピになった時点で「ありあわせ」でも「適当」でもなくなるのが難しいところ。