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2006年2月10日

GPLバージョン3

Linuxのライセンス形態となっているGPLの次期バージョン GPL v3の草案が発表されて一ヶ月ほどが過ぎた。IBM,Novellなどは支持を、SUNに至ってはOpensolarisに対してそれを適用する可能性がある事まで表明したのに引き換え、リーナス・トーバルスはV3で追加される、特定のハードでしか動かないようにする為に暗号化署名を使うならその署名も公開義務があるとする、いわゆる「DRMの阻止の項目」の項目を槍玉に挙げて強烈な批判を行っている。
リーナスが真っ向から批判することで断然熱くなってきたGPLとGPL v3の話題やけど、V3のドラフトの日本語訳を読めば、確かに開発者と使用者を特許紛争から守る条項が充実し、他のライセンスとの融合を容易にするという意味でGNUのいう「free」がより推し進められているように見える。


しかし、リーナスの批判する「DRMの阻止の項目」は言い換えれば、ソースコードや配布形態に施された暗号や署名をも複製できる状態で提供することを義務付けることを意味し、彼の言う「自分の非公開署名鍵の公開を要求するのは、正気の沙汰ではないと私は思う。私なら絶対そんなことはしない」という言葉は的を得ていると思う。ベンダや開発者と同じ署名が誰でも作れる状態、つまりは偽のベンダやなりすまし開発者に誰でもなれる状態というのが正しいとは到底思えない。リーナスの言うように特定の署名や暗号を必要とするハードやソフトが気に食わなければ、鍵を自前で作って使うようなことを求めずに、ただ使わなければ良い。という意見は賛成できる。
そもそもリーナスがGPLライセンスをLinuxカーネルに採用したのは派生物すべてにソースコードの開示を求めたという一点であり、彼の言う「free」はGPLから作られた派生物はソースコードが開示されれば、その用途も「free」であるべきであるべきだということになる。つまり特定のハード以外で動かないようなソフトを作るのはソースコードを公開する限りにおいて自由である。ということだ。
GNUの言う「free」とリーナスの言う「free」のどちらが正しいのかという議論は別にして、業界にオープンソースマンセー、GPLマンセーな風潮が満ち満ちて、それが立派な思想でもあるかのような雰囲気になっている。もちろんそれが立派な思想であることは確かだと思うけど、それでもBSDやそのほかのライセンス批判に結びつき、GPLでなければオープンソースでないかのような雰囲気はいかがなものかと思う。
GPL v3は確かにGPL陣営を守りGPL的Freeを促進するものではあるが、それは見方を変えれば一種の思想の押し付けであったり侵略行為であるようにも見える。
リーナスがLinuxのビジョンや思想を決して語らないのは有名であるけど、彼が彼一個人のもつ知的好奇心と関心というスタンスから決して離れることなく意見を述べていることは非常に大事だと思うし、彼が新しいタイプのカリスマとなっているのもその点に由来しているのだろう。
GPLを擁するGNUが爆発的に伸びて主流に乗ったのはLinuxを取り込んだ事にあったのはほぼ間違いないと思う。言い換えればLinuxカーネルの開発プロジェクトのリーダーであるリーナスが取った、個人の知的好奇心と関心のみを追求するスタンスに賛同した人材がGNUに集まったおかげでここまでGNUが伸びたと言えると思う。
ニュースサイトやいろいろな人のブログを見る限り、大企業やメジャーどころがプッシュしているにも拘らず、GPL v3の評判はすこぶる悪いように見える。v3になったらgccは使わないと言っている人までいる。
GPLが一大勢力になり時代の波に乗ることでオープンソースに対する「べき論」だけが先行しているように見える。おそらく俺のようなよくわかっていない人間は条項だけ読んで「これは素晴らしい!」と思うのは間違いないだろう。
しかし純粋な開発者でない俺のような、その方面に詳しいわけでもない人間は、V3が適用されると具体的に何が起こるのかが想像できない。
例えば「DRMの阻止の項目」などに関しては特定ハードやリージョンでしか動かないソフトを一掃するという意味で、一見ユーザーや開発者の権利を守るもののように見えるけれど、リーナスの批判を聞けばそれが陰険な検閲行為にもつながるということが言われて初めて理解できるありさまだ。
つまりV3から起こる具体的な事柄がその思想の陰に隠れて見えにくいのだ。
立派な思想や概念が万人の口に上り、悪い意味で一般化して価値を失うということはよくある。「オープンソース」という思想と概念もまさにその危機の岐路に立っていると思う。
しかしその思想と概念はそもそもの最初から思想としてあったのではなく、個人の知的好奇心の追求と利便性から生まれたものである。
「オープンソース」が陳腐な言葉と思想に成り下がらないためにも、GPL v3がオープンソースとしての思想的がどうこうというよりも、具体的に、v3が適用されるとどういうことが起こり、どういうことが防がれるのか、という個人ユーザーや個人開発者のレベルでの議論がもっとなされても良いのではないかと思う。

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