バッハ:「主よ、人の望みの喜びよ」 by ワイセンベルク / 公人として、私人としてのバッハ

amazon ASIN-B000CSUXZW一昨日に「主よ、人の望みの喜びよ」は誤訳ではないか?正確には「主よ、私の魂の喜びである貴方よ」とでもすべきである。ってな事を書いたので、ついでにマイラ・ヘスではない「主よ、人の望みの喜びよ」の紹介。
この「主よ、人の望みの喜びよ」が入ったこのアレクシス・ワイセンベルクのCDはバッハ好きにはたまらない全曲バッハ構成である。
タイトルになっている「主よ、人の望みの喜びよ」はマイラ・ヘスのひたすら内向するような演奏に比べて大分外交的というか「他人のために弾いている」という印象を受ける。
個人的にはこの曲に関しては曲の雰囲気から言って、井戸を掘るようなマイラ・ヘスの演奏が好みである。
しかし、BWV543のイ短調のプレリュードとフーガ、BWV855aのロ短調の「シャコンヌ」の演奏が熱い。これは熱すぎる。


バッハってのは宮廷の楽師長やら楽長やら合唱長なる地位を歴任して、社会的にはそれなりに不自由のない生活をした人である。
バッハのころは音楽家など芸術家ではなく召し使いであるとされていたころであるから、音楽家はパトロンやスポンサーの望む音楽を作る事が仕事であったはずで、バッハも少なくともそのことを納得してそのような仕事をしていたように思える。
しかしながら、バッハはそういったいわば注文制作の音楽に個人性を忍ばせて自己表現をしていた。と、私は思う。
彼の作るチェンバロ曲やヴァイオリン曲などのシンプルな構成の楽曲にはそういった雰囲気が現れているように思えるのだ。
で、このCDの話に戻るが、このアレクシス・ワイセンベルクの演奏はそういった公としてのバッハと個人としてのバッハの両方がよく引き立っているように思えるのであった。

2件のコメント

  • 以前のエントリ人の誤訳のグタグタよでも書いたのですが、Martin Jahnがバッハの教会カンターターに歌詞を付けた、その曲のドイツ語タイトルの”Jesu, meiner Seelen Wonne”が原文であるようですね。
    参考:http://www.ab.auone-net.jp/~bach/bwv147.htm

  • 小生も誤訳ではないか、と思っていました。あまりに不自然な訳なので。ところで、原文(独)はどうなっていますか?

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP