信仰者は電化マイルスの夢を見るか
中山康樹『マイルスに訊け!』を読んだ。
この本は「またお前か?」と言われるほどに彼の生涯にわたってマイルス・デイヴィスにインタビューし続け、彼の言葉を日本に紹介し続けた著者による「帝王マイルス・デイヴィス」の語録集のようなものである。
マイルス・デイヴィスは私の一番好きな音楽家の一人なので、この語録を一言一言読むたびに彼の格好良さが伝わってきてたまりませんな。
彼の良さは、「kind of blue」や「Round About Midnight」や「Milestones」といった、いわゆる「モダンジャズ的名盤」にのみあるわけではない。
こういうのから聴くからマイルスはツマランとなるのだ。
彼の格好良さはこの「You’re under arrest」のジャケット写真に現れていると思うw
そしてこのアルバムはマイルスのジャケット写真の格好良さwだけじゃなくって、彼がマイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーの曲を如何にミュートトランペットで「唄う」かが良く判る、マイルス初心者にもお勧めの一枚ですぞ。
マイルス・デイヴィスは一応「ジャズ」のくくりに入れられるだろうけど、彼自身は自分をジャズの枠だけでは考えていなかった。
彼はポップだろうがロックだろうがあらゆる音楽を取り入れながらずっと進化続け、常に最先端であり前衛であり続けた。そのあたりは草間彌生とよく似ているけど、彼の特筆すべき点は多くの才能ある若者を数多く育ててきたところにあるだろうと思う。
帝王と呼ばれるマイルスの周りには追従者や崇拝者が大量に群がってきたけど、マイルスはそんな彼らの世界に安住せず、彼らの頭越しに遥遠くの世界と数多くの人を眺め、彼らの頭越しに自分を知らない世界と人々に向かって音楽を放ってきた。
音楽にしろ文学にしろ絵画にしろ、私はどちらかと言うと内向的なものが好きなので、私は彼の内向的なミュートトランペットの音が、例えば「Round about midnight」の「bye bye blackbird」のようなものが好きだけど、彼の唄う内向的なミュートトランペットが決してただ甘ったるいだけのセンチメンタリズムに堕ちることも、彼の理解者に媚びることもなかったのは、彼がそんな視点を持ち続けて来たからであるように思う。
彼が真に偉大だったのは、彼がどこかの時点で最も偉大なジャズトランペッターだったからではなく、彼自身が自身に与えられる偉大さを常に否定し続けていたからであるように思う。
この本の中にこんな一節があった。
練習ってやつは、祈りを捧げるようなものだ。
一週間に一回とか一ヶ月に一回というわけにはいかない。
逆に言えば、祈りというものは練習のようなものでもあることになる。
祈りが練習であるならば、練習としての祈りの本番にあたるものはなんだ?
私には何か対して祈る習慣がないのでよくわからないけど、少なくともマイルスが音楽に対して信仰者のようであったことは良くわかる。
草間彌生にもっとも顕著に現れている「同じ事を反復しているのに常に変わり続けている」という性質は芸術家だけでなく信仰者の特質でもあるのかもしれない。
そして、この本を読んで今まで余り聞かなかったいわゆる「電化マイルス」を聴いてみたくなったのであった。