「フナ吉」死す
2006年7月1日
気づいたらフナが死んでいたので、アジサイの根元に丁重に葬った。
五年近く生きていたような気がするけど、死ぬときは一瞬だ。
水槽で生かされたフナに意味など見いだせないように、水槽での死にも意味など全く無い。
本来あったであろう意味と理由を判らないままに剥奪したのは飼い主であるけど、
剥奪したからと言って、新たな意味と理由を与えることが出来るわけでは当然無い。
ただ、その飼い主に意味と業がのしかかってくるだけだ。
飼い主は少なくとも死んだフナ一匹分は、余計に意味のある存在にならねばならない。
いずれにせよ「一匹のフナが死んだ」それだけの話だ。
それでも、一匹のフナが死んだことを覚えている人間が一人くらいいてもいい。
多分、少なくとも近所で一番ベートーヴェンのピアノソナタとMiles Davisとルネサンス期の教会音楽に詳しいフナであった。
シュナーベルとアシュケナージとギレリスくらいは聞分けられたんと違うか?
フナを構成していた炭素や窒素原子はアジサイの根から吸収され、来年の今頃は花になっているだろう。
生きている間は自然の生態系から外れていたけど、せめて死んでからは地球レベルの物質交代のサイクルに乗ってくれ。
と言うことで、フナにしてはたいそうな葬送やけど、フォーレのレクイエムで盛大に見送りだ。
在りし日の「フナ吉」
>意味とか業
自分でも何言ってんだかサッパリわからんです。
>リンク
まずいどころか大変ありがたいです。
こちらもリンクしておきますです。
お~生き物だ。^^
意味とか業とかよくわからんけど^^、
リンクするよ。まずいかな?