「肥後松井家の名品」その1「武家と茶」/良い景色w

そういえば先日「肥後松井家の名品「武家と茶」「武家と能」 」の二つの展覧会に行ってきた。
この展覧会は細川家の筆頭家老であった武家の松井家に伝わる茶道具や能装束、武具や書が二つの展覧会場、裏千家の茶道資料館と相国寺の承天閣美術館に分かれて展示されているものである。
両方とも歩いてゆける距離なので一日で回ったのだが、まず「武家と茶」の方の感想を。
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茶道資料館の「武家と茶」は松井家に関係する茶道具やそれにまつわるなんやかんやが展示されている。
私は食器とか調理器具が大好きなので、侘び系の茶道具もどちらかというと食器の延長として捉えて見ており、家でも具が多い味噌汁や魚のアラの潮汁を、塗りの椀ではなく茶道用の茶碗に盛ったりしている。
まぁなんか間違っているような気はするが…
普段食器を見るような目で茶道具を見れば、確かにこれは渋いとかこれはちょっと可愛いとか、あれは安っぽいとかテカテカやとかいう風には感じるけど、それはどっちかと言うと個人的な好みの問題であるような気がする。
そういった茶道具を食器として見れば好みと好き嫌いのレベルで「良さ」を味わうことが出来るけど、それを道具としてではなく美術工芸品だとして見るととたんに良さが全く分からなくなってくる。
「侘び」は簡素、清澄、閑寂ってあたりに価値を置くわけであるけど、それはもう完全に見る側の主観と好みに任されているような気がして、「良い」とされるところの根拠が掴み辛いのだ。


そのあたりの事があるからだろうか、茶道資料館の展示は妙に作品解説が充実していたように思えるのだが、言葉の使い方がちょっと独特で面白かった。
例えば茶碗に虫食いがあってアクセントになっていたり、凹みやヒビの雰囲気が良かったりする状態が「良い景色と成っております。」と表現されているなど。
なんかもう殆ど「言ったもん勝ち」だとは思えなくもないが、実際中々面白い表現である。
「このヒゲ落ちなどまことに良い景色で御座いますな」とか、若人の履くダメージやらクラッシュやらのジーンズの色落とかダメージを褒める場合に一番ぴったりの表現ではないか。
また昨日、私のセーターも久しぶりに着たら虫に食われ穴があいていたのに気付かず、穴に指を突っ込まれて「良い景色と成っております」と指摘された。
積極的に褒めたり、まろやかな突っ込みになったりと「良い景色ww」は色々使えますな。
とはいえ、茶道はお茶や菓子や器や道具といった「モノ」ではなく、ひたすら「気持ち」と「気遣い」で客をもてなしもてなされるものである。
ゆえにそこで使われる茶道具はあくまで亭主の心を反映させるためのものでしかないはず。
それら茶道具はただ「モノ」であるだけでなく、さらにその先にある、これをどういうテーマでもてなしに使えるかというところまで考えなければいけないのかもしれない。
この「侘び」の方向性は「良い」とされるものをひたすら見て経験的に審美眼に刻み込むしかないのでしょうな。
で、ここは茶道資料館だけあって茶道の普及に力を入れているゆえか、展覧会への来館者は菓子と抹茶でもてなされる。
お茶のとお菓子の出る展覧会など始めてである。
人の少ない展示場でひたすら渋い茶道具を見物したあとに、お菓子と抹茶で一服し、秋をテーマにした千玄室の掛け軸の説明なんぞを聞いていると、なんだかとても濃密な時間を過ごしている様な気がしてくる。
美味しいお菓子を食べて渋くて美味しい抹茶を飲んで、「菓子うまうま、抹茶うまうまなう」などと心の中でツイートしていると、さっきまで「良さが全く分からなくなってくる」「言ったもん勝ち」「良い景色ww」などと思っていたこともすっかり吹っ飛んで、「いや~茶道っていいもんですねぇ~来て良かった~」などとしみじみ思うのであった。
って食べ物と飲み物に釣られてるだけですがな…
しかし、これこそが茶道の本質かもしれない。とも思ったのであった。

2件のコメント

  • ぼくの実家も祖父が建具職人だったため柱の数が尋常ではありません。祖母も収集家でいろいろな人形や鳥のはく製などをかざったりします。
    しかし、床の間に人形を飾るまであつめてくるのですこし美観をそこねているのが問題です。叔父の後輩にあたる矢田部さんは日本人にあった椅子を武蔵野身体研究所でつくっています。いつかおとずれたい場所です。

  • 私も収集癖があるので気持ちは良くわかります。
    部屋の見えないところに収まっている間はいいのですけどねぇ…

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