「御釡師400年の仕事 大西清右衛門 茶の湯釡の世界」@京都伊勢丹 美術館えき/見よ、一子相伝の技を!

なんか最近はひたすら展覧会の事ばかり書いて当たり障り無く毒の無いことばっかり言ってるような気がするけど今年もその路線でまだまだ書くよー

今回も伊勢丹の「美術館えき」で開催されている「御釡師400年の仕事 大西清右衛門 茶の湯釡の世界」なる展覧会に行ってきた。

私自身はお茶をしないものの、裏千家、表千家、藪内家でお茶をやってる友人がいるのでお茶そのものには興味があるし、その友人に誘われたり誘われなかったりで堀川寺之内にある裏千家の茶道資料館とか表千家北山会館で茶道具関係の展覧会に行ったりするようになった。

この「御釡師400年の仕事 大西清右衛門 茶の湯釡の世界」展はその茶道具でも特に釜、更に千家十職の釜師である代々の大西清右衛門が作ってきた釜がテーマという無闇にマニアックな展覧会で、その釜をメインとして、他の千家十職が作った茶碗だとか表具だとか、茶道具や茶室そのものを展示するものである。

以前、裏千家茶道資料館で茶碗に入った欠けや虫食いやひびが「良い景色と成っております。」と表現されていて笑ってしまったことを書いたが、この茶釜でもわざと虫食いや欠けや錆を作るだけでなく、「羽」の部分をわざと欠落させたりしてダメージ加工してあるものが多く、なるほどそれはそれは渋く感じる。

このダメージ加工はビジュアル系の眼帯とか包帯とかのような「欠落感」や「脆さ儚さ」を表現するものではなく、磨り減ってしまうほどに長年使われるほどの素晴らしいものであるというジーンズと同じ方向性の「エイジング加工」ということになるのだろう。

純粋美術ではあまり見られない、道具として使われるものの中にのみ見られるその美は、もうお茶の世界にいない私が観ても「我が内なる審美中枢」がゴゴゴゴ…と音を立てるようである。

この千家十職は何とか神拳とか何とか聖拳みたいに一子相伝で代々引き継がれてゆくものなので、この大西家にも代々その秘伝やら奥義が伝わっているのかと思えば必ずしもそうではないらしい。

釜は鋳造品なので、作品を作ってそれを取り出す段階で鋳型は壊されてしまうので参考に出来ず、以前の代と同じ構造の釜を作るためには前代の残した設計図どおりに作ればいいというわけではなく、作品そのものに向き合ってその構造と製造方法を自分自身で考えてゼロから最創造する必要があるらしい。

展示の最後の方には16代目にあたる当代清右衛門の作品も展示されていて、天才と呼ばれた二代目の作ったやたらと複雑な構造の釜を復元する時の苦労と共にその復元品が展示されていたり、そして新たに彼自身が生み出した作品が展示してありとても心を打たれた。

代々の作品を観た後にその作品を目にすると、ともすれば亡霊とか呪縛とも受け止められるであろう代々の伝統とか重みを引き受けた上で新しいものを作るってのは、「オレオレクリエーター」とも言うべき、限りなく自己満足に近い身内だけにしか分からないようなものばかり作って悦に入っているタイプの人たちとは、そもそものはじめから根本的に違うのだと言うことが良くわかる。

そういえば以前佐川美術館に行った時に同じく千家十職の十五代樂吉左衛門の作品やらが展示された「吉左衞門X」なる展覧会に行って、LED照明やらミラーやらプリズムやらなんやらがギラギラチカチカと駆使された中に茶碗が展示されているのを見て「えっ!これが千家十職…?」「ヤンキーの車?」「あかん!このチカチカは精神に来る!」と、ポケモンフラッシュを見続けたのと同じ方向性で衝撃的だった事があった。

佐川美術館は観光地と化しているから、実に様々なタブラ・ラサな人が訪れるので、私と同じように始めて樂吉左衛門の茶碗をポケモンフラッシュとヤンキー装飾な展示で目にして、千家十職とはこんな感じなのか…と思う人もいるかもしれない。

他の千家十職の人は「いやいや違うし、一緒にされるから止めて~」と怒った方が良いよ~♪と全く縁もゆかりも無い部外者である私がここに書いておくw

と、当たり障り無く無毒な展覧会紹介をしてみたので、ぜひこの「御釡師400年の仕事 大西清右衛門 茶の湯釡の世界」展で代々一子相伝で伝わる千家十職の御釡師の技を堪能されるとよろしかろう。1月15日までなので急げ~

うん、でも、会期後にこのエントリを見た人は「大西清右衛門美術館」にでも行けばいいと思うよ~

amazon ASIN-4473031438 amazon ASIN-4418129006 amazon ASIN-4309410944

 

 

 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP