バルテュスを通してロリコンと美を考える

先日、お気に入りのテレビ番組の「日曜美術館」で「バルテュス 5つのアトリエ」なるバルテュスの特集をやっていた。
彼は古典絵画の模写によって殆ど独学で腕を磨き、シュルレアリスム全盛期に画家活動を始めたものの、特定の美術的な活動や運動の枠に入らず生涯独自のスタイルを貫いた人である。
その枠の中の1つとしてカテゴライズされないが故か日本では全然メジャーじゃない人だけど、ピカソがとても評価していたようで、生存中にルーブル美術館にその作品が展示された数少ない画家の一人として有名なんだそうだ。
なんでも「二十世紀最後の巨匠」と言われるくらいであるらしい。うん。もう二十一世紀だしね。

番組では「5つのアトリエ」というくらいで、彼がアトリエを変えるたびにどのようにテーマと作風を変えてゆくのかとういところが紹介されていた。

最初のアトリエでは色々なことを試みて結婚相手の実家に援助されるも挫折し、第2のアトリエで隣に住んでいた失業者の娘と出会うことで、「少女」を生涯のテーマにすることとなり、その少女をモデルにした「夢見るテレーズ」は、ナボコフの「ロリータ」の表紙に採用されたこともあり、彼の評価と見られ方の方向性を決定付けた作品と言うことになる。

そして第3のアトリエ、田舎にぽつんと立つフランス東部のシャシーの城館に、45歳のバルテュスは15歳の義理の姪と二人だけで暮らし、その姪をモデルに「少女」をテーマにした作品に磨きをかけ、その姪をモデルにした「白い部屋着の少女」などの作品を生み出すことになる。

結局この二人だけの暮らしは8年間で終わり、イタリアに移り住んだバルテュスは来日した際に20歳だった「出田節子」に一目ぼれして、「節子モデルだけと違う、結婚もやー」ということで生涯を共にすることになるわけであるけど、それまで8年間続いたその45歳のおっさんとその恋人である15歳の少女だけの人里離れたシャシーの城館の暮らしは今の時代から言えば色々な意味で「アウト」とされるであろう。

しかしながら見渡す限り殆ど人のいない環境の中で、城壁と自然に囲まれて愛するものと美しいものだけに囲まれて二人だけで暮らすというのはあまりにも現実離れした理想であるような気がするし、実際この時期のバルテュスはその姪と田園風景しか描かなかったのだ。

そして、テレビでは最後の5つ目のスイスのアトリエで最後の少女モデルとして隣家である主治医の娘が写されるのだが、老域に達したバルテュスのがその少女の髪の毛を直してやる仕草と目つきを見てこの人はホンマモンやと確信した。

番組ではバルテュスに対して、「彼はロリータコンプレックスではないんですよ!」とやたらと強調していたが、私は
「どう見てもロリコンです。本当にありがとうございました。」
「ロリコンでも良いじゃないか、バルテュスだもの」
「そもそもロリータコンプレックスって略さずに全部言う方が気色悪いわ!」
と突っ込みながら見ていた。

番組自体はとても面白く、ここまで見たんやから実物も見んとあかんやろ。ということで京都市美術館で開催されていた「バルテュス展」に行ってきたのであった。

そんなに有名じゃないと思ってた人だけあってそこそこ空いているだろうと思ったけど、意外に大盛況でびっくり。
人の波に並んでゆっくり見て回るのが苦痛でしょうがない私は、やっぱり自分のペースで見られる平日に行くべきだな。

バルテュスにとってシャシーの城館での8年間の暮らしというのは、彼にとって美的にも人生的にとても意味のあるものだと思うのだが、この展覧会は解説でもバルテュスのシャシー時代に殆ど触れず、しかもその時期の作品が極端に少なくちょいと残念というか拍子抜けだった。
この「バルテュス展」の最後で、バルテュスが愛用した日用品を展示している区画があり、「勝新太郎が送った羽織」やら「最後のモデルの少女を八年間取り続けたポラロイドカメラ」やら「法王のコスプレに使った銀の杖」などが展示してあったのだが、その中にこんな彼の言葉があった。
はっきりと覚えていないので、検索した限りでのうろ覚え引用であるが、

私は婦人の裸体画を描くことは決してないでしょう。婦人のそれよりも、少女の美しさに、より一層の興味や完璧さを覚えてしまったのです。少女たちは、生成や前存在を体現し、最も完成された美を象徴しています。

どう聞いても「ロリコン」の常套句です。本当にありがとうございました。
が、しかし私は純粋な意味で少女に美を見る「ロリコン」と少女を性愛の対象とする「小児性愛者」を分けて考えるべきであると思う。

小児性愛が法的にも倫理的にも許されざる行為であるとされる根拠が何であるかと言えば、大人と大人や子どもと子どもなど本来対等の立場の間で行われるはずの恋愛や性愛が大人と子どもの場合では一方的な搾取構造となりやすく、そうなると発達途中にある子どもにとっては発達の阻害や歪んだ発育のきっかけとなり、また心身ともに癒えることの非常に難しい一生の大きな傷とすらなりえるからだというところであろうか。

バルテュスの最後のモデルのアンナ・ワーリーはバルテュスの展覧会に参加したりインタビューを受けたりしているし、彼と8年をシャシーの城館で過ごしたフレデリック・ティゾンの動向を調べてみると、どうもバルテュスにその城館を譲られて現在もそこで暮らしているらしく、バルテュスとの子供(だと思われる)長男シャルルがその城館を修理しているらしい、そして第1のアトリエ時代に結婚していた妻とは生涯友人として付き合い、その彼女との息子スタニスラス・クロソウスキー・ド・ローラ はバルテュスについての本を出版している。
こう見る限り、バルテュスのモデルになったり深く関係した少女や女性はバルテュスとの関係を肯定的に捕らえているように見える。

このあたりはフランス人らしい恋愛の仕方であるともいえるけど、少なくともバルテュスの対象となった少女たちは小児性愛によって引き起こされる悪影響は受けていないと推測できるし、バルテュスは相手が少女であっても搾取的なものではない対等な恋愛をしていたといえるのだろう。
そのあたりがバルテュスがただのロリコンではないと思わせるところであるといえるように思う。

以前ウィーンに行った時に街中にあふれるヨーロッパ系幼女の余りの可愛さに心底驚いたことがあった。
そりゃ日本でも可愛らしい子供はいくらでもいるけど、金髪で透き通るような白い肌の着飾った幼女が、カフェデメルで本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべてザッハトルテを食べている姿を見て私は本当に衝撃を受けたのだ。
こういった少女の可愛さに狂ってロリコン的ダークサイドに堕ちてしまうオッサンが相当数いるであろう事、ヨーロッパ文化が日本では考えられないほどに徹底してロリコンを敵視して排除する事の背景がなんとなくわかったような気がしたものだ。
老人となったバルテュスも最後の少女モデルの8歳のアンナ・ワーリーに始めて会った時はその美しさに怯えたくらいであったらしいけど、そういったヨーロッパ系幼女の余りにはかない奇跡の瞬間の美が、目の当たりにすれば怯えてしまうほどのヨーロッパ的美の極致のひとつであるのは間違いないだろう。

確かに、バルテュスの言うように、世のロリコンが言うように、少女が最も完成された美を象徴しているのは間違いない。
バルテュスはその美の一瞬を掴み取ろうと、それを表現しようと、その美によって受けた衝撃や高ぶりを創作活動のエネルギーとしたわけであるけど、
そんな衝撃や高ぶりがなぜかストレートに性欲に転換されてしまうと小児性愛者となってしまのかもしれない。

美的な衝撃による高ぶったエネルギーを性欲にしか向けられず、性欲によってしか表現できないと言うのは余りにも貧しい。教育の1つの敗北の結果であるといってもいいとも思う。
そう考えると、昔から有り余った中高生男子の性欲はスポーツだの芸術活動だので発散させるのだとかいうホンマか嘘かわからん話も実は先人の知恵なのではないかと言う気がしてくる。
いやしかし、何かしらのエネルギー順位の高まりを色々なエネルギーに転化させる術を成長段階で学ぶことはほんま大事だな。

しかし考えてみれば、京都市美術館の「バルテュス展」がシャシーの8年の生活に殆ど触れず、そのあたりの微妙な所をを華麗にスルーして可能な限りバルテュスのロリコン色を消そうとしていたのに引き換え、
どう考えてもロリコンであるとしか思えないという解説をしておきながら「彼はロリータコンプレックスではないんですよ!」と言い切った「日曜美術館」はめっちゃ頑張った!
どこからどう見ても「二十世紀最後の巨匠」をロリコン扱いでした。本当にありがとうございました!
これからも録画して見続けるよー!!

そんなロリコンにひるまない「日曜美術館」は日曜日朝9:00からEテレだー再放送は日曜夜8時からだー急げー

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