日常で埋める

母の様子を窺いに病院へ行く。
現在は入院者専用の病棟になっている、上野伊三郎がデザインした旧島津邸の院内をゆっくり歩き回り、細かいところにまで気を使い、ふんだんに資金を投入した徹底振りとモダニズム建築の名残に一々感心する。
床と壁の境界が無いような丸みを帯びた大理石、全面ガラスと全面網戸の二重ドアになったベランダ、明らかに病院には必要の無い中二階のテラス、ドアの金具、階段の手すりや滑り止め、やたらと高い病室の天井などなど中々見られないようなものばかり。
無機質でそっけないはずの病院のところどころが変に豪華で洗練されていておかしみを誘う。
こういった建物の存在は「富の集中」の意義となる数少ない一例かも知れないと思う。
術後の経過も良く、家事もちゃんと楽しんでやっている事を理解してもらえたようで安心する。
夕方まで話し、近所の商店街で野菜を買って帰る。


食べたいものを作られるのが自分で料理を作る利点の一つではあるけど、今日は冷蔵庫の整理をして悪くなりそうな野菜を処分すべく、もやし、えのきだけ、レタス、きゅうり、長いもをすべて料理の材料として選抜し、更に大量に作っておいたカレーもまだ余っているのでこいつも積極的に使うことにする。
結果、もやしえのきとパセリの胡麻酢醤油和えカレー風味、レタスときゅうりと長いものサラダ酢橘ドレッシング、長いもえのきもやしの味噌汁、カレー酢橘風味芋豚コロッケとトンカツの卵とじ。と言うことになった。
自分で言うのもなんだが、美味しかった。
毎日毎日働いてご飯を作って洗濯をして掃除をしてアイロンをかけて風呂に入って、と仕事と二人分の家事に追われて日常に埋もれて生活していると変に気持ちが平安になる。
余計なことは全く考えないし、余計なことをしようとする気持ちも余裕も生まれないし、不思議な充実感でいっぱいいっぱいになる。
逆に今までふんだんにあったはずの、夜に一人で自分の為だけに過ごす数時間がとても貴重で意義のあるものになった。
ゆっくりコーヒーを飲みながら音楽を聴きながら本を読むことができるのがなんと幸せなことか。
八正道が苦から逃れる唯一の道だと説かれる所以がなんとなくわかるような気がする。

4件のコメント

  • その節は色々ご心配いただきありがとうございました。
    おかげさまで母の経過も順調なようです。
    確かに「名残にロマン」は「もののあはれ」を感じさせてなかなかいいもんでした。

  • いやいや、名残にロマンを感じるというのもなかなかいいものですよ。
    それよりお母上の経過も順調なようで何よりです。

  • それほど建築に興味の無い私でも「ほぉー」と思ったので、古建築フェチの画伯さんならさぞかし興奮されるのかと思ったのですが、調べてみると島津邸自体は原型も無いくらいに改築されて、現在は名残がある程度と言うだけらしいので、ちょっと残念ではありました。

  • 旧島津邸ですか~。(・∀・) ウラヤマスィ
    私が行ったら病院であることを忘れてニヤニヤしてしまいそうです(笑)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP