力場

なんだか知らんが、自分が正しいと思う方、自分が好きだと思う方、自分がおもろいと思う方、自分がまともだと思う方を信じようと思った。
「万物の尺度は人である。あるものについては,あるということの。あらぬものについては,あらぬということの」と言うわけで、人の尺度も自分の尺度も精度の上で同じなら、自分の感覚の方を信じてやるべきである。
自分が見、自分が聞き、自分が考えたものだけを根拠として、なるべく耳に入ってくる諸々の雑音を聞かないようにして諸々の判断と評価を決する方がよっぽど良い。
「このくらいの年になると社会的なんが邪魔して中々人と仲良くなれへん」「近くにいてくれへんくなるのが怖くてほんとの事が言えへん」といった人が最近いて、聴いた時はそれはどちらかと言うと年のせいと言うよりは個人の資質の部分に因るものではないか、こいつはええ年こいて何を言うとるのかと思ったのだが、社会に出て働き出すにつれ個人であることよりも社会的な立場で言動する時間の方が多くなるわけで、個人の個性を必要としない仕事に自分の社会的なアイデンティティーをおこうとすると中々大変でややこしい事になるのやなぁと今更ながらに思った。
そういうわけで、社会的な立場や関係、影響や評価といった力学的な事を考慮に入れないで個人として話すことは、精神衛生上とても意義のあることなんだと思った。

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