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2009年9月1日

「それは仕様です」は救いとなるか?

選挙ポスター、選挙カー、街頭演説、握手、スーツに襷と鉢巻、そしてバンザーイ、選挙に関わるあらゆるものは美的感覚から言って、オサレさんな文化圏の人たちやある種の美意識を持った人たちからすれば拒否感と嫌悪感を感じずにはいられない醜いものに見えるに違いない。
そういった人達にとって、こういったものに関わる事すら嫌なのではないだろうかと思う。
どうしてここだけはいつまでたっても同じなのだろう。同じような語彙が同じような文法で繰り返されるのは何故だろうと思う。
選挙にかかわるあらゆるものがそういうあり方をしていることがある種の美意識の人の嫌悪を誘うように、あるべきものがただそうあるというだけで特定の人々を拒否するようになっている構造というのは、基本的な世界の構造であるに違いない。
しかし、それは要求仕様として意図された構造ではなく、世界構造の運用上の必然的動作としての仕様である。と思う。
世界や社会がある種の人を積極的に拒否しているのではなく、最大多数の何物かを目指すならばそうならざるを得ない構造になっていると。
そしてそこにひとつの救い、あるいは妥協点があるように思う。


強くなりたい、受け入れたい、理解したい、と自分に対してそう願うことは偉大であると思う。
しかし、それは何かしらの手段となるべきものの一つであって、唯一の目的にするべきものではないと思う。
言い換えれば、自分がそうなってから初めて何かが始まるのではなく、何かを始めながら必要に応じてそれを身につけ実についてゆくものであろう。
そして、貴方がそういった切実な思いでニーチェを、道元を、そして脳科学の本を読み漁る事が、跳躍への試みではなく、結果として着実な一歩ずつの歩みとなるようにと願う。

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