日雇いキリスト、派遣ムハンマド、そして、ひきこもりブッダ

長い間このブログに日々、どうでも良いことからちょっと役に立つ電脳的技術情報から鬱の主張まで色々な事を書いてきた。
と、同時に他の人の書くブログだのwebページだのも沢山読んできた。
そして、色々な人のそういったブログの中で私が共感し、とても面白く身近に感じ、素晴らしいと思うブログは、いわゆる世の中でクズやら負け組み呼ばわりされる人たちが書くようなものばっかりであったような気がする。
ひきこもり、フリーター、日雇い労働者、契約社員や派遣やバイトで日々を生き抜く人々、そしてブラック環境で働く人々、或いはメンヘラー、アルコール依存やらギャンブル依存。
そういった人たち心の叫びのブログは、勝ち組といわれる類の人々の書く余りにも軽くて薄っぺらいスイーツブログとは根本的な次元から異なっているように思う。
思うに、私がこれほどまでに彼らのブログに惹かれ、彼らの書く文章に魅せられ、彼らを素晴らしく思うのは、彼らこそが今の世の中で真正面から自らのアイデンティティーの問題に命をかけて向かい合っている、生き残るために向かい合わざるを得ない殆ど唯一の人々だからではないのだろうか。
会社に所属せず(できず)、家族とも折り合いが悪く(ならざるをえない)、かといって何かしらのコミュニティーにも所属するわけでもない(できない)、恋人も友達もいない(できない)、人付き合いが苦手だと自己評価する事の多い彼らは、
社会から、周りから、時には家族や友人や恋人からの非難に針のむしろになりながら、押し付けられる自己責任論で自らを追い詰めて、生き抜くために、自己を肯定するために、必死の苦闘を続けているように見える。
何処にも所属しない彼らにとって、彼らの接する会社や組織や団体やグループからアイデンティーティー得られる事は無いであろう。
なぜなら、彼らを一番に、そして最も徹底的に否定するのは、それら彼らの接する会社や組織や社会そのものであるからである。
それでも、彼らは自らの所属する場所から否定されながらも、自らの苦悩の中から、自らの力で、生き抜くために、死なないために自らのアイデンティティーを構築しようとしている。
人間存在にとっての実存問題を一人で背負って闘う彼らの姿はなんと美しいことであろうか?ヨーロッパの歴史が総がかりでも結論が出せなかった問題に、徒手空拳でたった一人で挑む彼らの姿はなんと気高いことであろうか?
そして、そんな彼らの中からこそ、次の価値が生まれてくるような、そんな気がする。日雇いキリスト、派遣ムハンマド、そして、ひきこもりブッダなるものが生まれてくるのも、もうすぐですぞ。

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