海二日目/見えない隙間を埋める海

海二日目は前日と別の浜へ。
ここも前日にいった場所と同じく殆ど人がいない。
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そしてここは私の知っている近場の海で一番綺麗な砂浜と一番の透明度を持っているように思う。
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砂の上を素足で歩くととても気持ちよく、サラサラと落ちる石英質の砂粒が美しい。
余りにも透明な海水に浸かって泳いでいると自分の体まで透明になってくるようなな気がする。
そういえば、この海は私がほんの小さな子供のころ、心臓の手術を終えて外に出られるようになって、生まれて始めて両親が私を連れて来た来た海であり、私が生まれて初めて水中眼鏡とシュノーケルを使って中を眺めた海でもある。
私が海と魚を好きになったのはすべてここから始まっている。
何十年も前、私の両親がこの場所で、私が死の淵から浮かび上がって掴んだ私の「生」を祝福したように、今度は私自身が同じ場所で私自身の「生」を祝福できるのだろうか?と思う。
四年前、この海に15年ぶりほどに訪れて何かしらのスタート地点に戻ってきたような気がした。というようなことを書いたが、
今回も四年前同様、ちょっとした転回を見せ始めた色々な事どもに対して、ちょっとした覚悟とちょっとした決意を持ってこのスタート地点に立ったような気がしたのだった。


この海はとても透明度が高いので、5メートル下の海底もくっきり見える。
沈み根に小さいキジハタが二匹いるのを海面から確認したので、離れたところから潜行し、根の影から回り込んで気付かれないように様子を伺う。2匹とも思ったより小さいので狙うかどうか迷ったけど、前日は一匹もキジハタを捕獲していないのでやっぱり突くことにした。
息に余裕があったので手前のキジハタが射程距離に入っても直ぐに撃たず、二匹が並んだ状態で重なった瞬間に真横からヤスを放った。
刺さった感触があると、ヤスに刺さった魚が暴れてもがいて逃げないように、間をいれずにすぐにヤスをつかみ直して、ヤス先を水底に押さえつけて更に深く刺しつつヤスから抜けないようにしたのちに、接近して直接魚をつかんで浮上する。というのが基本的なヤスで魚を突く動作なのだが、
接近して魚をつかむまで二匹刺さっているのに気付かなかった。
2本ヤスが2本とも一匹の胴体を貫通した後、1本だけがもう一匹の尻尾あたりをかろうじで貫通していた。
たぶん生まれて始めての、狙って決めた1ショット2捕獲である。
そして次はカワハギ。
前日は腹部に刺して肝を傷つける寸前だったので今回はそれは避けたいところ。
「腹を撃つなよ!腹を撃つなよ!絶対に腹を撃つなよ!」と思いながら撃つと見事に腹部に刺さるので、
こんどは「口先に刺す!」ときっちり射撃ポイントを決めて狙うことにする。
泳いでいる魚にヤスを放つ場合、魚の移動速度とヤスの到達時間の差によってが実際に刺さる場所にズレができるので、魚の特定の部位をピンポイントで狙って撃つには、目標点をロックオンしつつ魚の移動が止まった瞬間に撃つのがベストである。
しかし魚がいつもそう都合よく止まってくれるとは限らない。むしろ止まらないことが殆どである。
泳いで移動している魚の口先にヤスを刺すには、魚の移動速度と魚との距離とヤスの速度を計算しつつ、魚の口ギリギリかほんの少しだけ前方を狙うことになる。
とりあえず確実に魚に命中させるだけなら、ズレを気にせず魚の体の中心でも鰓蓋のあたりでも狙えばいいのだが、タイミング的にヒットさせるためとはいえ、魚から狙いをはずした空の部分を狙って撃つのはやっぱりちょっとした違和感がある。
実際やってみるとどうしても躊躇してしまい、せめて顔あたりを狙った確実にヒットさせるための妥協の一撃を放ちたくなる。
しかし、そこをぐっとこらえるのが海中スナイパープレデター道である。
岩の向こうに消えたカワハギが反対側の岩陰から現れるのを先回りして岩にしがみついて待ち伏せ、
カワハギが視界に現れると同時に口先少し前を狙って先読みして撃つ。
狙い通り見事に口先に吸い込まれるように突き刺さる、完璧な美しい一撃であった。
去年私はニュータイプに目覚めたかのようなブラインドショットをこの海で決めていたが、今年も去年と勝るとも劣らない中々のスーパーショットをキジハタとカワハギに決めた。
この浜はなんかそういったことの良く起こる海であるような気がする。
他の人にとってはただの綺麗な海水浴場であるが、私にとってはちょっとした思い入れのある海なのだ。
そういえば、去年、いつものみんなでこの海に行った直後に、その中の新婚夫婦に子供が出来ているのが分かったのだったことを思い出した。
そして今年の夏にその某レディーとメールで海の話をしていて、彼らに海と魚と魚突きのミームが良きものとして伝わっていることをとても嬉しく思ったのだった。
とはいえ、一方では、海底でたった一人で魚を突くという、この現代社会を生きるのに何の役にも立たない、こんな社会では全く必要のない、そして誰にも見られることのない技術や素養を磨いていったい何になるのだろうか。ともまた思う。
しかし、それでも、現代社会に必要のないこういった技術をたった一人で磨こうとする事自体が、自分の中にぽっかりと空いている、この社会で生きているだけでは決して埋められない隙間を埋めようと試みる行為の一つでもあるようにも思える。
そしてそんな隙間を埋めようとする行為は、もしかしたら、こんな社会を生きるための覚悟や耐えるための力を手に入れるのに役立っているのかもしれない。
と思うのであった。

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