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2006年12月15日

文体キメラがあらわれた!

昔から古い儒家とかギリシャの哲人とかが言い続けてきたおかげで「中庸」はとても大事なものとされているようだ。
私自身も性格的に極端から極端に走りがちなので「中庸」には常に気を使っているつもりやけど、最近の本の読み方を振り返ればやっぱり「中庸」とは程遠い。
変態性欲や薬物やアルコール、はたまた仕事や恋愛などの中毒になるのとは違って、本読み依存になった所でそれほど人に迷惑がかかるわけでもないけど、それでも中庸に越した事は無いと思う。
だからといって今、本を読むのを控えてしまえば、考えたところでどうしようもない余計な事を考える時間が増す事になって、結果的に精神的な均衡に破綻を来たすのもまた本当だろうし、今の段階で本をあまり読まないようにするのはちょっと危険な気がするので、あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。
ある種のバランスをあえて崩す事で、また別の場所のバランスが極端に傾かないようにする。
おそらく私自身のバランスが崩れかけているがゆえに、ある種の偏重が全体としての平均を取らせる事になるのだろう。友よ、しようとしていることをするがよい。
私自身の歪みは確かにある。その重心の狂いはある種のモノの欠落から来るように感じられる。その空白感はある種のモノの欠損から来るように感じられる。
その自分自身の重心を回復し、その自分自身の空白を埋めるような、そういったそのある種のモノを得る行為が拒否されて忌むべきものだとするなら、何をもてか之に塩すべき、後は用なし、外にすてられて人に踏まるるのみ。
まぁ、土偶を巡る2006年の冬は、本を読み続けなければ潜り抜けられない程の脅威だということになるのだろう、ラマ、サバクタニ
と無理やりドジョウにアジアアロワナの尾鰭をつけたような、土偶の書いた本にドストエフスキーが解説をつけるような、土偶の書いたコードののデバッグをデビッド・カトラーがするようなキメラ感満開の文にしてみた。

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