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2007年6月7日

ラーメン!しかし業!

相反する概念が自分の中にあって、それが命ずる欲求と、それ自身の存在に引き裂かれるような、葛と藤がくんずほぐれつするような、まさに「葛藤」と呼ぶべきものに、我々は日々日常的に責め苛まれている。
例えば身近な例で言うと「太りたくないが食べたい」から「泳ぎたいが水着になりたくない」等と単純な構造の葛藤、さらには「醤油ラーメンが食べたいけど塩ラーメンも食べたい」「海に行って泳ぎたいけどクーラーにあたって本読みたい」などと少し複雑な葛藤などといくらでもあるだろう。
直接的な欲求と理性の対決や同時に両立しない欲求の片方を理性的に諦める場合など、形はどうあれ葛藤というのは、結局は自分の欲求と理性のせめぎあいといった構造を持っている場合が多いわけである。
しかしながら、それを突き詰めて行ってしまうと、矛盾する二つの欲求を抱く自分自身を理性の段階すら突き抜けて生理的に否定する「欲求」が沸いて来る。
葛藤自体はともかくこれはヤバい。もう激ヤバの予感である。
こうなると良くわからん暗いループに陥ってどんどん下降しながら自らを食い尽くしてしまうので、そこから浮かび上がるには、人間なんかそう言う存在やねんからしょうがねえべ、という基本的な認識が必要になる。
でもその認識を土台にして自分の中にある対立する欲求の両方を自分のもつ正当なものだと認められれば、その対立する欲求は善悪を超えた業であり、それが在るのも業ゆえであると捉えられれば、人間一般に対して、更には自分に対して「許し」を与える事が出来るようになれるような気がするのだがどうだろう。
思いつくのと口で言うのは余りにも簡単やけど、いざそうなろうとすると中々難しいんでないかい?
という事を思ったラーメン大会であった。
なんかすんげー大げさな話になってるけど…

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