ブログを気分的にリニューアルする

「降りかかって来た」と見えるものを後から見てみれば、ゆっくりと段階を踏んで着実に積み上げられ、そしてそれが必然的に崩れたものである事がよく分かるし、
断ち切られたかに見える時間の繋がりも、よく見れば徐々に細くなってやがて切れてしまったものだという事が理解できよう。
マクロ的に突発的な災害に見えるものは、ミクロ的に見ればいくらでも予測も回避も可能だった予見可能なものであったという事になる。
そして、何かが切れ、何かが崩れ、何かが終わるということを、肯定的に一般論で言えば、そこを区切りとした何かの始点であると解釈することも出来るわけだ。

とはいえ「区切り」というものを連続性を断ち切った1つの印として肯定的にとらえようとしても、どう見ても連続性の中の特定の一点を指し示す単なるマーカーにしか見えないこともある。
全体を大いなる発展と進歩と繁栄の歴史だと捉えると、何かの区切りは新しい連続性の始まりの合図であり、
全体を大いなる切断と崩壊と終了の歴史だと捉えると、新しい何かが始まりはただの一通過点で過ぎない事になる。
結局のところそれは見る者、そこにいる者の歴史観であったり未来感の問題になってくる。

「未来を予測する最善の方法は、それを創造することだ」
というアラン・ケイの言葉があるけど、破滅的終末論的な史観でもって未来を見るということは、破滅を創り出そうとしている事になるのだろうか。

ちょっと新しい事を始めたい、と思いながら数週間ほど経ったけど、結局特に何も思いつかなかった。
とりあえず、このブログのどこかしらでも変えてみようかと思い、ブログの全コンテンツを消してゼロから始めようかと思ったけど、やっぱり勿体無くて出来なかった。
色々なものが移り変わる中、このブログの中に含まれるものはあまりにも古臭い。

そもそも、ブログという形態自体がすでに古臭いのだ。
それでも少し微妙なとここを変えてみた。
気分的にこのブログもリニューアルだな。

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