ぬるま湯金曜日

家に帰ってだらだらピアノ弾いてヤフオク冷やかした後、本とアドエスを持って風呂に。
風呂につかりながら音楽を聴きながら本読みながらネットで調べ物をしたり巡回サイトをチェックしたり。
ぬるま湯につかりすぎてふやけそう。
とても直接的な意味で。
金曜日の仕事後の開放感は何とも言えない。
しかし、これから死ぬまで金曜日の仕事後を楽しみに生きてゆくのかと思うと頭がくらくらして気が遠くなりそうである。
「何かを楽しみに生きる」のが正当なことだとしても、「何かを楽しみに生きる」のが当たり前だと前提したり、「何かを楽しみに生き」ねばならならないとしてしまうと話がややこしくなる。
「生きがい」やとか「生きる意味」なんてものを持っていない人間は生きてはいけないのか?つー話に似たところがあるやね。

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